"身代わり花嫁と一千万円の通帳" 第28話
川さんは退職届を破り捨て、そののから、目を輝かせて資格試験の勉を始めたのだった。
曜の夕方には、私は『野の瀬こども堂』の厨へも伝いに通うようになった。
堂を運営する瀬由美さんは、学の娘の咲良ちゃんを女つで育てるシングルマザーだった。昼はパート、夜は子ども堂の調理に追われる由美さんを、誠治さんは何もから経済に支え続けていた。
「咲良がね、遥ちゃんの淹れてくれるお茶が番好きだって言うのよ。『苦くないから、ゴクゴクめる!』って」
由美さんが笑いながら、鍋のカレーをかき混ぜる。
子どもたちの笑い声が響く公民館で、私は自分の淹れたお茶が、この町の未来を担うさな命たちをも温めているのだというびに満たされていた。
しかし、の盛りを迎えた、野の瀬のにしいが忍び寄った。
あの野トメさんの体調が急激に悪化し、事が喉を通らなくなってしまったのだ。
ベッドので横たわるが増え、かつての威勢のいい声はかすれ、子に座ることすら困難になっていった。
ある猛暑のの夕暮れ、私がベッドの脇でたいタオルでトメさんの痩せた首をやしていると、トメさんはうっすらと目をけ、掠れた声で私の名を呼んだ。
「……遥ちゃん。
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私にはね……名古の自で働いている、勇(おさむ)という息子がいるんだよ」
トメさんが私のことを「遥ちゃん」と名で呼んでくれたのは、それが初めてだった。
聞けば、若い頃にお茶を継ぐのを拒んでをびした勇さんとは、何も確執が続いていたという。、久しぶりに帰省した際にも激しい論になり、『度と敷居を跨ぐな!』とトメさんが追いして以来、音信通になっていたのだ。
「度だけでいい……ぬに、あの子の顔が見たいよ。……でもね、あの子に連絡しちゃいけないよ。名古からここまで来るのに、往復で何万円もかかるんだ。あの子の活だって楽じゃないんだから……私のために、無駄なを使わせたくないんだよ……」
トメさんはそう言って、麻痺した腕を胸元に抱え込み、苦しそうに目を閉じた。
その夜、私は自宅の居で、誠治さんにそのことをすべて打ちけた。
誠治さんは私の言葉をじっと黙って聞き届けると、力く頷いた。
「、施設に相談しよう」
翌朝、施設はトメさんの枕元にしゃがみ込み、優しく語りかけた。
野の瀬のには、創業者である誠治さんの向によって、方に暮らす困窮したご族が面会に訪れる際の交通費を全額補助する特設基がすること。だから、勇さんには銭な負担を切かけずに呼び寄せることができるのだと。
トメさんは井を見つめたまま、枯れのようなで涙を拭い、さく頷いた。
の夕暮れ、野の瀬のの玄関に、作業着姿のままの体躯のきな男性がち尽くしていた。焼けした顔にい皺を刻み、さなボストンバッグを胸に抱きしめて肩を震わせている、息子の勇さんだった。
病のドアがき、勇さんがベッドの傍らへ歩み寄った瞬、トメさんは力なく目をけた。
「……お袋」
「……勇かい。……よう、来てくれたねえ」
「お袋……痩せちまって……」
の空を埋める言葉は、それだけで分だった。
トメさんの震えるが、布団ので息子の無骨な掌を探し当て、勇さんはそのさくなったを両で包み込んで、子どものように号泣した。
トメさんは線を私の方へと巡らせ、かすかに微笑んだ。
「……遥ちゃん。勇に……あのお茶を、淹れてやっておくれ」
私は湯へり、トメさんから託されたあの真鍮の茶筒から茶葉をし、祖母の急須で丁寧に、祈るようないでお茶を淹れた。
差しされた湯呑みを受け取った勇さんは、いお茶を啜ると、顔を両で覆って激しく肩を震わせた。
「……母ちゃんののだ。子どもの頃、先で母ちゃんが淹れてくれた……あの美いお茶のだ……!」
トメさんは満そうに目を細め、静かに息をえていた。
勇さんはその晩、施設の族控に泊まり込み、晩母親のを握り続けた。
そして翌の未、トメさんはする息子の温もりに包まれながら、苦しむこともなく、らかな眠りので静かに息を引き取った。