"身代わり花嫁と一千万円の通帳" 第1話
「え、じゃあ千万、渡しておくね」
台所の古びたさな卓の向こう側で、夫である倉田誠治は、にした湯呑みを私のにそっと差ししながら、事も無げにそう言った。まるでの朝はご飯にするかパンにするかを尋ねるような、あまりにも軽やかであっさりとした声だった。
その言葉が落ちてくる直まで、私は卓のい目に額がつきそうなほどくをげていた。
「今の活費……あと万だけ、欲しいの」
たったそれだけの、わずか数文字の言葉をから絞りすまでに、私は晩、胸を締め付けられるような葛藤に苛まれていたのだ。
姉の代わりとして、見らぬの町に嫁いできただけの私が、夫に余分なおをねだる資格などあるのだろうか。図々しいとられるかもしれない。やりくりがだと呆れ果てられるかもしれない。そう考えるだけでの先が氷のようにたくなり、言おうとするたびに喉の奥で言葉を何度もみ込んできた。
それなのに、え切った私の朶を打ったのは、「千万」という現実の欠片もない途方もない数字だった。
夫の誠治は、この寂れた田舎町で働くの介護士だ。毎朝、の空がまだ夜の暗に沈んでいるうちに古い布団をて、作業着に着替えると、町れにある老介護施設へとかけていく。
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お寄りたちの体を抱えてお呂に入れ、事をずつ介助し、を運転して送迎をい、に何度もい夜勤をこなしている。乗っているはあちこちにさな擦り傷がある落ちのい軽自で、持っているといえば洗いざらした数枚の仕事着と、見いのに着ていた古い背広くらいのものだ。
その質素を絵に描いたような夫が、何の衒いもなく、まるで端のでも差しすかのように千万と言ったのだった。
「……え?」
聞き返した私の声は、喉が張り付いてしまったかのように掠れていた。線をゆっくりとげると、誠治は湯呑みを持ったまま、なぜ私がこれほどまでに目を見いて直しているのかが分からないといった様子で、議そうに首をさくかしげていた。
この夜、私は夫がひた隠しにしてきた本当の姿をることになる。
そして、その秘密が、幼い頃からずっと誰かの代わりとして、誰かののようにきてきた私の凍りついたを、根底からきく塗り替えていくことになるなどとは、このの私はまだる由もなかった。
私の名は倉田遥。歳になる。このに嫁ぐまでの旧姓は、望と言った。
歳を迎えたばかりの真、私はまれ育った所からくれた、い々に囲まれたさな盆の町、野の瀬町へと嫁いできた。
それまでは首都圏のベッドタウンである台というで、両親と歳の姉と共に暮らしていた。
を卒業してから、元のや湯器の修理・取り付け事を請け負う従業員にも満たないさな会社で、事務員として働いていた。鳴り響く黒話を取り次ぎ、埃っぽい伝票の数字を計算で叩いて請求を作り、夕方になって作業着をで汚して戻ってくる職さんたちにいお茶を淹れる。誰の目にも留まらない、昨と今とが判で押したように同じ軌を描いて過ぎっていく、そんなな仕事だった。
私には、歳の姉がいた。名は也という。
姉は幼い頃から、誰もが振り返るほど目がぱっちりとしたらしい顔ちをしていて、どこへっても自然との輪のに収まるような、華やかなをまとっただった。そして私はといえば、いつもその眩しいのに隠れるようにして、姉の背を見つめながら半歩ろを歩く妹だった。
今、私の目のでお茶を啜っている誠治との縁談も、発端はすべて姉の元へと持ち込まれた話だったのだ。姉が「絶対に嫌だ」と突っぱねて断ったからこそ、押しされるようにして私が代わりに嫁いできた。私は最初から、姉の都の良い代わりだった。
これは、誰かの代わりでしかなかった私が、の町の静かな古い平で、の無な介護士と会い、ねていった々の物語だ。