"末席の男が放った三百億の通告" 第13話
帳を胸ポケットに戻し、俺はエリの目をまっすぐに見据えて言った。
「ありがとう」
たった言、それだけだった。
エリは、俺が名刺を事そうに帳に収めたのを見て、完全に伏したものと受け取ったらしかった。
「素直でよろしい! じゃあね、またで!」
満げに顎をしゃくると、エリは赤いスカートを揺らしてちがった。岡崎と取り巻きの女たちが、勝ち誇ったような取りでそのろをついていく。
エリとすれ違いざま、松本が何かを言いかけようとして元を引き結び、諦めたように息を吐きした。松本はそのまま俺の子の真ろに回り込むと、俺の肩にきなを置いた。
「……悪かったな、弘。席順のこと、俺の配慮がりなかった」
「気にしてないよ」
松本は俺の肩をポンポンと度叩き、周囲に聞こえないよう声をく落とした。
「あいつ、昔からあんな調子だけどよ……今のは、さすがにちょっと度が過ぎてたな」
松本は最まで言葉を続けなかった。続けないまま、幹事としての責務を果たすため、次の卓への挨拶へと戻っていった。
メインバンクの現役取の娘に対して、請け企業の営業マンである松本が言えることの限界を、彼自が誰よりも痛切に弁えていたのだ。
貞子は、まだ俺の隣に座っていた。
「弘君……」
「ん?」
貞子は何かを言いかけ、俺の胸元のポケット――名刺を収めた帳のあたりに線を落とした。
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そして、さく首を横に振り、自分の膝のでをね直した。
「ううん、何でもない。でね」
俺は何も言わず、グラスに残ったわずかなをみ干した。帳の暗ので、エリがき殴ったインクが、じっとりと乾いていくのをじていた。
エリが再びこちらの卓へと戻ってきたのは、それから分ほどが経過した頃だった。
宴会の終がづき、方の台では松本がマイクを握って次会の案内を始めていた。駅の居酒を軒、貸し切りにしてあるのだという。
エリは空いていた子に座ることもせず、仁王ちになって俺の真横にった。反対側には岡崎がち、俺をから威圧するように挟み込む。
「ねえ、弘。さっきの『百億』、まだ言ってんの?」
「言ってないよ」
俺が静かに答えると、エリは得げにの端を吊りげた。
「言ってないんだ? じゃあさ、本当に試してみる?」
エリはバッグから自分のスマートフォンを取りし、液晶画面をこちらに向けて突きしてきた。
LINEのトーク画面だった。トーク相の登録名は『パパ』になっている。
「パパにLINE送っといたから。『零細の堀ってやつ、取引切っといて』ってね!」
背の取り巻きの女が「キャーッ!」と歓声をげ、岡崎がヒューッと品な笛を吹いた。
「弘、お完全に終わったな!」
岡崎が俺の肩をろから突くように叩いた。
「なあ、そもそもおの会社の名、なんて言うんだよ? 俺、元で産やってるからさ、この辺の会社なら体把握してるぜ?」
「さな持株会社だよ。言っても分からないとう」
岡崎は俺の言葉を最まで聞く気すらなく、エリに向かってげさに両を広げてみせた。
「ほら見ろ! 社名すら言えねえじゃねえか!」
エリが声をてて笑った。
社名を言えないのではない。言う相を、俺が厳格に選んでいるだけだった。だが、そんな論理がこのに通じるはずもない。通じない相に言葉を費やすは、の教ですでに使い果たしていた。
「……本当に、送ったの?」
隣に座っていた貞子が、静かに、しかしはっきりとした声で尋ねた。
エリはスマートフォンを元に引き戻し、嘲笑を浮かべた。
「送ったよ! パパ、私の頼みなら何だって聞いてくれるんだから!」
画面が見えたのはほんの秒らずだった。実際に送信済みの吹きしがあったのかどうかまでは確認できなかった。
だが、そんなことはどうでもよかった。
実際に送信していようがいまいが、この女が王の現役員であり、取の娘というを利用して、顧客の取引止を父親に依頼したと公衆の面で騙ったという事実は、何つとして変わらないからだ。
「でもね、弘。私、これでも優しいからさあ」
エリは、わざとらしく俺の肩にを置いた。