みかん小説
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"もう私を「お母さん」と呼ばないで" 第3話

あの廊のたい蛍灯のと、丸まったさな背は、その、私の網膜から度たりとも消えることはなかった。

真由美さんが私たちの関係に気づくのに、そうはかからなかった。

興信所など使うはずもなかった。 男の雑な嘘、辻褄のわない帰宅、微かに染みついた鹸の匂い。 そして、私のむアパートのくにあるガソリンスタンドのレシート。

の気配と隣りわせできていたの直は、あまりにも鋭かった。

ある曜の午、職の話が鳴った。

『佐藤正彦の妻です。お話ししたいことがあります』

受話器の向こうの声は、驚くほど静かで、濁りがなかった。

指定されたのは、御茶ノ駅の裏にある、暗いの喫茶だった。 階段を段りるごとに、が鉛のようにくなった。 罵声を浴びせられる覚悟はしていた。 平打ちをらうか、あるいはを浴びせられるか。 どれほど罵倒されても、耐えるしかないとっていた。

だが、窓際の席に座っていた女性は、私の像とは全く違っていた。

ベージュのカーディガンのから、毛糸のショールを羽織った真由美さん。 抗がん剤の副作用で髪はくなり、頬は肉が落ちて削げ、爪の先はに変していた。

それでも、背筋だけは定規を当てたように真っ直ぐに伸びていた。

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濁りのない、徹な瞳が私を射抜いた。

真由美さんは、テーブルのにさな革の帳を置いた。

「いつからですか」

そのく通る声に、臓がねた。

「あの……私たちは、仕事の相談に乗っていただけで……」

言い訳が、から滑りた。 自分をしでも見苦しくない所に置こうとする、浅ましい防本能。

真由美さんは、眉つかさずに言った。

「ごまかさないでください。私ので、惨めな嘘をつくのはやめて」

言葉の刃が、喉元を切り裂いた。 私はそれ以、言も発することができなくなった。 ただ俯き、膝ので握りしめたバッグの具を見つめるしかなかった。

真由美さんは珈琲にをつけることもなく、静かに言葉を継いだ。

「あなたたちがどう決着をつけるかは、の問題です。慰謝料を請求して裁判を起こす気力も、今の私にはありません。……私の命は、もうそうくはないから」

宣告のような言葉だった。

「でも、拓也はまだ歳です。の勝で、あの子から父親まで奪わないで」

を排した、鋼のような声。

「もしあの子のにこれ以の傷をつけたら、私はんでも、あなたを許さない」

泣き叫ぶことも、取り乱すこともなかった。 病に侵された躰のどこにそれほどの力があるのかとうほど、その姿には侵しがたい気品とりが満ちていた。 母として、残されるが子のを守ることだけに、残された全命を注ぎ込んでいる。

私はただ、くをげた。 度と正彦さんには会いません、と。 震える声で誓った。

そのを境に、私は事務所を辞め、話番号を変え、正彦のから姿を消した。 自らの罪のさに耐えかねて、逃げしたのだ。

それからヶ、真由美さんはくなった。

の便りでそのらせを聞いたとき、私は自の暗がりで胸を撫でろした。 これで、すべてが終わったのだと。 恐ろしいことに、どこかで堵していたのだ。

だが、過は終わってなどいなかった。

の歳が流れた頃、正彦が再び私のに現れた。 どこで調べたのか、しい職ので私を待ち伏せしていたのだ。

「拓也に、母親が必なんだ。俺じゃ、もう限界だ」

男はやつれ、縋り付くように言った。

私は拒むべきだった。 真由美さんのたい目をいすべきだった。

しかし、私はそのを取ってしまった。 今度こそ、あの歳のときに廊で泣いていた拓也を救うのだという、歪んだ免罪符を胸に抱いて。

籍を入れ、歳になった拓也と暮らし始めた最初の朝。 台所で朝を作っていた私に、拓也がぎこちなく言った。

「……お母さん、お醤油、どこ?」

その瞬、臓が止まるかとった。 の母親の席にでがり込み、その名を横取りした棒。 私はどんな顔をして「ここよ」と答えたのか、今でもいすことができない。

居のテーブルに戻り、私は茶封筒のからもう通のを取りした。

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