"離婚半年後、元夫が15年前の弁当箱を抱えて訪ねてきた" 第12話
送信ボタンをクリックすると、乾いた子音とともに夜の部へ吸い込まれていった。
逃げない。
私はもう、あの男の顔を伺って台所にっていた無力な妻ではないのだ。
迎えた曜の午。
公民館の第調理には、換気扇のい唸り声と、煮干しの汁が温まる柔らかなりが満ちていた。
ステンレスの作業台がつ並ぶ内。
定刻の分、引き戸がガラガラと音をてていた。
入ってきたのは、見慣れた、けれど酷くさくなった背だった。
修だった。
量販で買ったばかりなのだろう、折り目の残る紺のエプロンをぎこちなく着けている。
髪の混じった髪は乱雑に撫で付けられ、周囲の線を恐れるように肩をすくめていた。
目がった。
修の瞳が激しく揺れ、喉仏がごくりとく。
何かを言いたげに唇をきかけた彼に対し、私は線をミリも逸らさず、静かに会釈した。
「いらっしゃいませ。奥の番台へどうぞ。名札を取ってください」
界した元夫ではなく、単なる「遅れてきた受講者」に対する、完全にフラットなトーン。
修は気圧されたように息を呑み、力なくをげて番台へ向かった。
そののメニューは、基本の庭料理だった。
煮干しと昆布を使った澄まし汁。
根と油揚げの含め煮。
そして、焦がさずにまでふっくらとを通す、汁巻き卵。
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「それでは、まず汁巻き卵から始めます」
私は央の講師台にち、元を掲げた。
「卵焼き器の温度がすぎると油を吸ってベタつき、すぎると表面だけが焦げて割れます。菜箸の先に卵液をつけ、ジュッと音がして瞬で固まる温度を保ってください」
受講たちが斉にメモを取り、卵を割り始める。
私は台のを巡回しながら、加減や菜箸の使い方を指導して回った。
番台のにった、異様な景が目に入った。
修は、まな板ので縛りに遭ったようにち尽くしていた。
には卵。には菜箸。
その指先が、刻みに震えている。
「あ、あの……美紀……」
かすれ声で私を呼ぼうとした修の言葉を、私は事務に遮った。
「田さん。卵は平らな所で軽く叩いて、割れ目を入れてください。ボウルの縁でく叩くと、殻の破片がに入ります」
「え……あ、うん……」
修はおずおずと卵を割り、ボウルに落とした。
案の定、鋭い殻の欠片がつ、黄い黄のに沈む。
「あ、す、すまない……」
「謝る必はありません。菜箸で拾いげてください。を止めないで」
私の声に、切の個な温度はない。
修は焦るように殻を追いかけ、指先を黄く染めながら、けない息を漏らした。
同じ台にいた代の男性受講者が、見かねて声をかけた。
「田さん、力を入れすぎだよ。
ほら、箸をし寝かせて」
「あ……すみません……」
修がをげる。
会社で部に威張り散らし、では座っているだけで温かい飯がてくるのを当然とっていた男が、赤のに卵の溶き方を教わっている。
フライパンにを入れた修の元から、やがてジュウという激しい音と、黒い煙がちった。
「がすぎます」
私が横から静かに告げると、修は慌ててフライパンをからした。
けれど、すでに遅かった。
卵液の端は真っ黒に炭化し、油の焦げた嫌な臭いがち込めている。
「……くそっ」
修の額から、粒の油汗が落ちた。
「なんで……なんでこんなに難しいんだ……。お、毎朝分で作ってたじゃないか……」
消え入りそうな呟きが、私のに届いた。
、私が毎朝に起きて作っていた汁巻き卵。
寝ぼけた顔でそれをに運び、『がい』だの『もうし甘くしろ』だのと吐き捨てていた男。
自分が分で平らげるそののために、加減を調し、汁の分量を計算し、焦げ目をつけないように息を詰めて巻いていた私の労力。
それを、男は歳になって初めて、自分のでフライパンを焦がすことでったのだ。
「毎朝分で作れるようになるまで、私はかかりました」
私は修の目を見ずに、フライパンの焦げ付きをペーパータオルで拭き取る順を指し示した。
「技術を当たりだとわないでください。を極に落として、最初からやり直してください」