"売却済みの洋食店で、女将ごっこをする女" 第14話
を過ぎても、玄関の鍵がく音に怯える必はない。誰かの嫌を窺って、夕の温め直しに気を揉む必もない。
やかんで湯を沸かし、マグカップに注ぐ。湯気の向こうで、テーブルのに置いたスマートフォンがく震えた。
画面を見ると、見慣れた番号。元夫、浩司からだった。
度呼吸をしてから、メッセージをく。そこには、かつての威張り散らしていた男の面など微もない、みじめな文が綴られていた。
『母さんが寝込んでしまった。俺もアパートをなきゃいけなくなった。全部失って、初めておのありがたみが分かった。美緒、頼むから度だけ会ってくれないか。俺たち、昔は本当に緒にを守っていたよな。あの頃の気持ちを、もう度いしてほしい』
画面を見つめながら、私はさく息を吐いた。
い。都が悪くなれば昔のにすがり、自分が踏みにじった相に救いを求める。どこまでも、どこまでも自分本位な男。
私は指をかした。を切削ぎ落とし、事実の輪郭だけを打ち込む。
『ええ。それは本当よ』
送信する。瞬のを置いて、画面に次の文章を打ち込んだ。
『でも、あの頃が本当だったからといって、今のあなたの嘘まで受け入れる必はないの』
送信ボタンを押す。
既読の文字がついたのを見届けると同に、私は設定画面をいた。
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躊躇することなく、その番号を着信拒否にし、連絡先ごと完全に消した。
画面が暗転する。部のに、が窓を打つ静かな音だけが戻ってきた。
のに、滴の波紋すら起きなかった。という歳が、たった数のやり取りで、音もなく完全に終わった。
それから、かが過ぎた。
の終わりの柔らかなが、のを揺らしていた。私はしくちげたさなコンサルティングオフィスの契約を終え、駅へと向かうを歩いていた。
培ってきた経営のノウハウ、原価管理、法務と税務の識。誰かのに隠れることなく、私自の板で請け負う仕事は、すでに数件の個経営のカフェやレストランから声がかかっていた。
ふと、見慣れた交差点にた。
角を曲がると、懐かしい板が見えた。「 瀬亭」。
改装事を終えた舗は、先代のな雰囲気を残しつつも、るく清潔のある佇まいにまれ変わっていた。入の引き戸の脇には、季節のランチメニューが端正な文字で掲げられている。
ガラス越しに、内の様子がわずかに見えた。
フロアでは、制をきっちりと着こなしたが、落ち着いた笑顔でお客様を席へと案内している。厨の奥では、い子をく被った本が、フライパンの加減を鋭い目で見つめていた。
そこに、かつて偉そうにふんぞり返っていた男の姿はない。違いなエプロンを誇らしげに見せびらかしていた女の姿もない。老女将を気取って嫁をいたぶっていた老の姿も、どこにもない。
は、呼吸を続けていた。誠実に料理を作り、誠実に客を迎える、本来あるべき当たりの姿を取り戻して。
私はを止め、板を静かに見げた。
胸に来したのは、傷ではなかった。未練でも、悔でもない。
私が守り、そして放した所が、正しい々のでき続けていることへの、静かな堵だった。
ち止まったのは、わずか秒。
私は線をへと戻し、再び歩きした。たいはもう、頬を刺すような痛みを帯びてはいなかった。
背筋を伸ばし、自分ので、しい季節のへと踏みしていく。私のくには、どこまでも澄み渡ったの青空が広がっていた。