"正月の料亭で仲居に渡された「逃げてください」の紙切れ" 第9話
私は、微だにせず義母を見つめ返した。引き止める気など、微もなかった。施設に入るなら、どうぞご自由に入ればいい。自分のと貯で正当なサービスを受けることの、何が悪いというのか。
だが。
その瞬、私の隣で、予もしない鳴ががった。
「し、施設……!? 母さん、何言ってんだよ!」
夫だった。
夫は持っていた箸を派な音をてて膳のに落とし、転がるように義母の元へ駆け寄った。その顔は、先ほど私に問い詰められていたときとは比べ物にならないほど、真っ青に脱されていた。唇がに変し、瞳孔が恐怖で見かれている。
「ダメだ! 施設なんて絶対にダメだ! 何を言ってるんだよ、母さん!」
義母の着物の袖に縋り付く夫のは、尋常ではない力で震えていた。ただの親を気遣う息子の狼狽ではない。まるで、のすべてが崩壊する瞬を目の当たりにしたかのような、剥きしのパニックだった。
夫は弾かれたように私の方へ向き直ると、私の膝にを伸ばし、狂ったように懇願してきた。
「真由美! 頼む、頼むから折れてくれ! おが母さんの面倒を見てくれ! 頼むよ!」
「……何言ってるの?」
「施設に入られたら困るんだよ! 母さんのが……施設なんかにを使われたら、全部終わるんだよ……!」
夫のから漏れた、その異様な言葉。
施設に入られたら、困る?母さんのを使われたら、全部終わる?
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すがる夫の血った目を見つめながら、私の背筋に、先ほどとは全く質の異なる、底えするような悪寒がった。
「施設に入られたら困るんだよ! 母さんのが……施設なんかにを使われたら、全部終わるんだよ……!」
夫のから転がりたその台は、料亭の広に残っていたわずかな体温すら、瞬で奪いった。
「……全部、終わる?」
私の問いかけに、夫はに返ったように息を呑んだ。自分の失言のさに気づいたのか、血っていた瞳が激しくに泳ぐ。膝をついたまま、震えるでスーツのズボンを握りしめ、何か言い訳を探すようにをごもごもとかした。
「い、いや……そうじゃない……母さんの老の資を、そんなところで無駄遣いさせるわけにはいかないだろうって、そういうで……」
「無駄遣い?」
わず、く乾いた笑いが喉から漏れた。
「実の母親が腰を悪くして、活に困って施設に入るのが、無駄遣いなの? あなた、さっき何て言った? 『母さんのを使われたら全部終わる』って言ったわよね」
「言葉の綾だろ! 揚げを取るなよ!」
夫は逆するように声を荒らげたが、その額には脂汗がびっしりと浮きていた。必に繕おうとすればするほど、その揺が隠しきれない。
座卓の向こうでは、本の伯父が吐き気を催したかのように顔を歪めていた。
「……もうたくさんだ」
伯父は々しくちがり、淡な線を義母と夫、そして義姉へと向けた。
「正々、内の見苦しいの勘定など聞かせるな。子さん、おがどうやって老を暮らそうがったことではないが、親戚を巻き込んで嫁を脅すような真似は輪際やめろ。……おい、帰るぞ」
伯父の言で、の親戚たちも逃げるように席をった。誰も義母に労わりの言葉をかける者はいなかった。ただ軽蔑と気まずさだけをそのに残し、に襖の向こうへとっていく。
数がいた広は、あっというに静まり返った。散らかったままの懐料理。め切った吸い物。そして、にへたり込んだままの義母と、膝をついて肩を落とす夫。
義姉の美智子は、親戚たちがった途端、元のバッグを乱暴に抱え直した。
「……私、もう帰るわ。幹線が混むし」
「美智子ちゃん!」
義母がすがるように叫んだが、義姉は度も振り返らなかった。
「真由美さんがそこまで固になるなんてわなかったのよ。修、あんたがちゃんと説得しなさいよ。じゃあね」
あれだけ威勢よく私に計画表を突きつけていた義姉は、自分のが悪くなったと察した瞬、すべての責任を弟に押し付けて逃げしたのだ。実の娘ですら、このざまだった。
私は無言のままちがり、座敷をた。
背から「真由美! 待てよ!」と夫が呼び止める声が聞こえたが、度もを止めなかった。