みかん小説
本棚

"忘れた財布が暴いた、娘の結婚の地獄" 第2話

やがて、娘の目からきな涙の粒がこぼれ落ちた。

「……たい。もう、ここにいたくない……」

かすれた、けれど芯のある声だった。 それが、娘が自分の志で発した最初の歩だった。

「分かったわ」

私が頷くと、玄関の吉田さんがく言った。

「私のを使いなさい。病院まで乗せていく」

娘の体を支え、ゆっくりとちがらせる。 壁にをつきながら玄関へ向かおうとした、に額をつけていた純平が慌てて顔をげた。

「待てよ、さやか! 悪かった、俺がカッとなっただけだ! かないでくれ!」

すがるように娘のスカートの裾へを伸ばそうとする男のに、吉田さんがちはだかった。

「これ以、触るな」

く、無を言わさぬ警告に、純平は息を呑んでを引っ込めた。 私は娘の背を抱きしめながら、玄関のすりを掴む娘にもうつの確認をした。

「警察、呼ぶわね?」

娘は迷わなかった。腫れがった頬を歪めながら、はっきりと頷いた。

「呼んで」

そのですぐに110番をダイヤルした。 数分、パトカーが到着すると、純平の態度はまたしてもガラリと豹変した。

「ただの夫婦喧嘩なんです。お互いになってしまって、ついが当たっただけで……」

警察官に対し、で見せるあの礼儀正しい好青を演じようとする男。 虫唾がるのを必に堪えていると、吉田さんが警察官に告げた。

広告

「私が、この男が奥さんの顔面を力任せに殴打する瞬を、から直接目撃しました」

社会な信頼のある第者の証言に、警察官の差しが鋭くなった。 言い逃れができなくなった男を残し、娘はパトカーの部座席で活全課の警察官から事聴取を受けた。 今の暴力の事実が、公な捜査記録としてしっかりと刻まれた瞬だった。

救急指定病院の診察で、い蛍灯が容赦なく娘の傷を照らししていた。

初老の当直医が、娘の顔と腕を慎に触診していく。

「骨には異常ありません。ただ、頬部の挫傷、顔面打撲、および腕の皮血。全治週の見込みです」

医師が告げた病名が、くたくに残る。 発された診断のいを握りしめた、私の指先はりと悔しさで痺れていた。

病院をたのは、夜の帳がすっかりりた頃だった。 駐まで送ってくれた吉田さんは、「これからのことは、まず落ち着いてからご族で話しってください」とだけ言い残し、くち入ることなく静かにっていった。 その背を見送りながら、私は自分の軽自の助席に娘を乗せ、横浜の実へとをらせた。

助席の娘は、窓のを流れる灯のを無言で見つめている。

実の玄関をけると、古びたがの懐かしい匂いがした。

娘は靴を脱ぐと、リビングのソファへ倒れ込むように腰をろした。 油ストーブにをつけ、薬缶でお湯を沸かす。 湯気と番茶のりが部に満ちていく、私は切の問い詰めをしなかった。 「どうして今まで言わなかったの」などという言葉は、あの子を追い詰めるだけの刃物にしかならない。

娘のに温かい湯呑みを置き、向かいの子に腰をろす。 沈黙を破ったのは、娘のさな吐息だった。

「ごめんね、お母さん……ずっと黙ってて」

「謝る必なんてないのよ。話せることだけでいいから」

私の言葉に促されるように、娘はぽつりぽつりと、獄のような々の輪郭を語り始めた。

い返せば、5に結婚した、純平は非の打ち所がない男に見えた。 私のに初めて挨拶に来た、エプロンをかけて台所を伝い、「お母さん、さやかさんを涯かけて切にします」とをげた姿を、今でも覚えている。 4に夫をくし、横浜の商の片隅でさな裁・修を細々と営む私にとって、娘が穏やかで誠実な男性と結ばれたことは何よりの救いだった。

けれど、あの温もりはすべて、巧妙に作られた罠だったのだ。

「最初から、殴られたわけじゃないの」

娘は湯呑みを両で包み込みながら、線を落とした。

結婚して2が過ぎた頃から、しずつ歯が狂い始めたという。

フリーランスでグラフィックデザインの仕事を続けていた娘に対し、あの男は執拗に嫌を言うようになった。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: