"「毎日そんなに持ち帰るのか」厳しい常連客が父を見て泣き崩れた" 第11話
それ以来、父とを通わせることなど、度もなかったはずだった。
だが。
帳の付は、私がパンフレットを広げた、まさにその翌週だった。
舗の契約を破棄すれば、額の付は戻ってこない。 老朽化によるち退きが決まっていた元の舗の期限も迫っていた。 移転をやめるということは、イコール、『ひだまり』を廃業させることをしていた。
父は。 あのは。
娘をざけるために鳴ったのではなかった。 舗のために血の滲むいで貯め続けてきた業資のすべてを、娘の未来のために差しす決断を、あの夜、たったでしていたのだ。
『は、今のままでもいい』
そんなわけがない。 今のまま維持できるなど、どこにも残っていなかったのに。 自分ののをっ端微に叩き壊し、料理としての命を絶ち、その破片をすべて呑み込んで。
父は、私に言の恩着せがましい言葉も言わず、悪者になったまま、で廃業のを被ったのだ。
「……うそ……」
掠れた声が、喉から漏れた。
帳の文字が、歪んで滲んでいく。 涙が、止まらなかった。
ポタポタと落ちる粒の雫が、の青インクを濡らしていく。 私は両で帳を胸に抱きしめ、畳に額を押し当てて嗚咽した。
何もらなかった。 私は、あののことを、何つ分かっていなかった。
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更で同僚にを叩かれ、惨めさに耐えかねていた自分。 『なぜ私ばかりがこんな目に遭わなければならないのか』と、被害者ぶっていた自分。
父は、に。 とっくに私のために、自分ののすべてを差ししてくれていたのだ。 傲な言葉も、謝の言葉も、何つ求めずに。
居の襖の向こうから、寝息に混ざって、微かに父の寝言が聞こえた。
「……タマネギは……細かく刻むんだぞ……美……」
壊れてしまった記憶ので、父は今もなお、娘の名を呼んでいた。
私は涙を拭うこともできず、ただ暗ので、たくなった父の帳を抱きしめ続けた。
翌朝、腫れがった瞼のみで目が覚めた。
畳のには、昨夜抱きしめたまま眠ってしまった父の帳。 青いインクでかれた『美の学を最優先とする』の文字が、暗い部ので痛いほど鮮に目にび込んでくる。
隣の部から、微かに擦れの音が聞こえた。 襖を静かにけると、父が起きて、自分のカーディガンのボタンを掛け違えたまま、ぼんやりと座っていた。
「……お父さん」
呼びかけると、父はゆっくりと顔をげた。 昨夜のあの激しい錯乱が嘘のように、その瞳には何の濁りもない、無垢なが宿っている。
「おお、美か。いな。……朝飯、伝おうか」
父が私の名を呼んだ。 それだけで、昨夜堰を切って溢れた涙が、また喉の奥まで込みげてくる。
このは、、自分のすべてを投げ打って私を選んだのだ。 料理としての名も、願だったしいも、男としてのも、すべてをそので握り潰して。 それなのに私は、頑固で器用なあのをみ、自分のが奪われたとい込んできてきた。
「ううん。丈夫だから、座ってて」
私は笑顔を作り、奥歯を噛み締めて台所へ向かった。 震えるで噌汁の鍋にをつける。 このままではいられない。 父が何を背負い、何を諦めてきたのか。 に置きりにされた真実の輪郭を、私は自分ので確かめにかなければならなかった。
そのの午、父を週回のデイサービスへ送りした、私は浅の古い商へ向かった。
向かった先は、かつて『ひだまり』の軒隣で乾物を営んでいた井さんの自宅兼舗だ。 歳を超えた井さんは、今でも先に座り、昔馴染みの客と世話をしている。 私が佐伯正蔵の娘だと名乗ると、井さんは細い目をさらに細めて、奥の居へ招き入れてくれた。
された番茶の湯気を見つめながら、私は鞄から父の古い図面と見積を取りした。
「井さん。父がを閉めたのこと……本当の理由を教えてほしいんです」
テーブルに広げられたの類に、井さんは息を呑んだ。 震える指先で、図面の端をそっとなぞる。
「……正ちゃん、これ、まだ持ってたのかい」
井さんのから漏れたのは、い溜息だった。