"「毎日そんなに持ち帰るのか」厳しい常連客が父を見て泣き崩れた" 第7話
甘いものが目のにあるだけで、先ほどの恐怖はもうの向こうへと消えっている。 それが認症という病の残酷さであり、同に唯の救いでもあった。
テーブルを挟んで向かいって座る黒田様は、おのグラスに両を添えたまま、じっとかない。 指先が微かに震え、氷がカラリとさく鳴る。
「……驚かせてしまって、本当にすまなかった」
黒田様はくをげた。 先ほどまでの取り乱した様子は消えていたが、声の奥には澱のようない疲労が沈んでいる。
「のことだ。私は、歳だった」
黒田様は線を落とし、テーブルの目を指先でなぞるようにして、ぽつりぽつりと語り始めた。
「学をて就職したさな貿易会社が、あえなく倒産した。残ったのは、連帯保証にされていた額の借だけだった。親族からは縁を切られ、アパートも追いされ、の浅のを当てもなく彷徨っていた」
臓が、トクンと嫌なね方配をする。
「ポケットのには、百円玉がたった枚。、の以は何もにしていなかった。寒さと飢えで識が朦朧として、の通りを歩いていた……の奥から、信じられないほど美そうな匂いが漂ってきたんだ」
それが、父の『ひだまり』だった。
簾をくぐり、引き戸をけたの景を、黒田様は昨のことのように鮮に覚えていた。
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カウンターだけのさな。 使い込まれた厨は隅々まで磨きげられ、寸胴鍋からは湯気がちっていた。
黒田様は、カウンターの端に座り、震える声で「番いスープをください」と頼んだという。 持ちの百円でりるものは、それくらいしかなかったからだ。
「だが、厨にいたご主は……」
黒田様が、ミルクティーを啜る父へ線を向けた。 父は何も気づかず、カップの縁についた泡をスプーンですくっている。
「ご主は、何も言わずにきな平皿を取りした。そこに、湯気をてる盛りのビーフシチューと、盛りのご飯をよそって、私のにドンと置いたんだ」
『頼んでいません、おがありません』と、黒田様は真っ青になって断ろうとした。 棒扱いされて警察を呼ばれることだけが怖かった。
けれど、父は笑いもしなければ、りもしなかった。 ただいコックコートの腕を組み、ぶっきらぼうにこう言ったのだという。
『いいからえ。腹が減ってちゃ、ろくな考えが浮かばねえ。は、でいい』
そのをに含んだ瞬、黒田様はカウンターので涙が止まらなくなった。 肉は舌のでほどけるほど柔らかく、いコクのに、微かな酸が効いていた。 の温もりを完全に失っていた青の体に、その温かい煮込み料理は、きろという命令のように染み渡った。
べ終えた、父はカウンターのから古びた学ノートを取りした。 表に『ツケ帳』とかれたそのノートに、黒田様の名をかせた。
『仕事が見つかるまで、飯をいに来い。その代わり、ごとにちゃんとツケを溜めとくからな。円も負けねえぞ』
黒田様は唇を噛み締めた。
「それから週の、私はに度、あのへ通った。ご主はいつも、無言で盛りの飯をしてくれた。だが、ただ甘やかすだけじゃなかった。『今は何社受けたんだ』『靴のを落としてから歩け』と、叱られもした」
そして週、父は黒田様に枚のメモを渡したという。 隅田川のくにある配送会社の倉庫で、荷揚げの作業員を募集しているという報だった。 父が懇にしていた仕入れ先の伝を頼って、をげて紹介状を取り付けてくれていたのだ。
「私はその会社に採用された。昼夜を問わずだらけになって働き、半、ようやく溜まっていたツケをすべて返しにった」
そのの父の反応を、黒田様は今でも言句忘れていない。
返された封筒の現を数えもせず、引きしに放り込むと、父はただこう言った。
『よし、これで貸し借りなしだ。……これからは、ちゃんと働けよ。にろ指を指されるようなき方だけはするな』
それだけだった。
名刺をくれとも、世したら顔を見せろとも言わなかった。