みかん小説
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"「お母さんのところに行きたい」9年後に届いた娘の声" 第1話

指先の覚が、寒さでほとんど麻痺していた。

板の商を抜け、駅裏の暗いに入ったのは、夜のを回った頃だった。 昼の仕込みからちっぱなしで、を脱いだあとも、爪のには微かに酢と汁の匂いが染みついている。

え切ったアスファルトの向こうから、ガタガタと属がきしむ鈍い音が響いてきた。

壊れかけの台だった。 のねたスーパーの袋に、潰されたアルミ缶がぎっしりと詰め込まれている。 く積みげられた段ボールが崩れないよう、黄いビニール紐が何度も乱暴に巻きつけられていた。

台を押している男の背は、ひどく曲がっていた。 汚れた作業着の袖からている指は赤黒く腫れがり、あかぎれが裂けて血が滲んでいる。

通り過ぎようとした。 の活の困窮を詮索する趣はない。く畳の台所と畳の居しかないアパートへ帰り、いシャワーを浴びたかった。

だが、男が段差を乗り越えようとしてをもたつかせ、崩れ落ちた段ボールが私の元に転がってきた。

「……すみません」

しゃがみ込んで段ボールを拾いげようとした男が、顔をげた。 灯の頼りないが、その顔を照らしす。

息が止まった。

頬は削げ落ち、無精髭にいものが混じっている。 だが、違えようがなかった。

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元夫、修司の弟の誠さんだった。

の記憶が、胃の底から競りがってくる。

婚届に判を押したあの、誠さんは兄である修司の隣にち、私をたい目で見ろしながら言い放ったのだ。

『結は兄貴と暮らしたいって言ってるんだ。もう諦めたらどうですか』

あのの傲な声が、今でもの奥にこびりついている。 修司のちげた運送関係の会社を伝い、綺麗なスーツを着て、私を「庭を壊した邪魔者」として扱っていた義弟。

その男が今、凍えるで、ゴミ集積所から集めた缶を運んでいる。

誠さんの目が見かれた。 私の顔を認識した瞬、血の気が気に引いていくのが分かった。

「……ま、真紀、さん」

掠れた声が、夜の気に溶ける。 誠さんは弾かれたように線を逸らし、く被っていたニットをさらに引きげた。 台の持ちを握るが、刻みに震えている。

「……見なかったことに、してください」

喉の奥から絞りすような声だった。 そのまま台を押しし、逃げるように私から距を取ろうとする。

「誠さん」

呼び止めるつもりはなかったのに、声がていた。 男のが止まる。だが、振り返りはしない。

「夕飯、べましたか」

自分でも信じられないほど、静かな声だった。 み言をぶつける気力すら湧かなかった。目のの惨めな姿があまりにも痛々しく、りよりも先に、胸を締めつけるような違が勝っていた。

修司の会社はどうなったのか。 あんなに兄を盲信していたが、なぜこんな所で空き缶を拾っているのか。

「……丈夫です。放っておいてください」

背を向けたまま、誠さんは拒絶した。 その張った肩の震えが、の修司の頑なさとどこかなって見えた。

私は肩にかけていたトートバッグから、財布を取りした。 末の仕入れ代を決済した残りで、元には数枚の万札が入っていた。

迷いはなかった。 枚の万円札を抜き取り、誠さんの張ったのひらに、無理やりねじ込んだ。

「無理です! 受け取れません!」

誠さんはのでも払うようにを引っ込めようとした。 幣が夜に煽られそうになるのを、私は彼の指を力任せに握り潰して押し留めた。

「修司の弟だから渡すんじゃない」

え切った誠さんの皮膚の触が、のひらを通して伝わってくる。

「今夜、ここで寒さに震えているを見たから。それだけ。返さなくていいから、温かいものをべて」

誠さんは息を呑み、で汚れたのの万円を見つめたまま、縛りに遭ったようにかなくなった。

私はそれ以、言も交わさずに踵を返した。 娘の結が今どこでどうしているのか、聞く勇気はなかった。

またあの言葉を聞かされるのが、ぬほど怖かったのだ。

『結ちゃんは、お母さんになんか会いたくないって言ってますよ』と。

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