"頭からビール、五十人が平伏す" 第5話
しかし。
梶原は、勢子のすぐ脇を、まるで端の空気であるかのように無言で素通りした。
「……え?」
勢子の得げな笑みが、途半端な形のまま凍りついた。
梶原がを止めたのは、勢子の背――濡れたまま凛とつ、の真正面だった。
梶原の鋭い瞳が、の額から滴るビールの雫を、そして黒く染まったの島紬を、をかけてゆっくりとなぞっていった。その拳が、りのあまりくなるほどく握りしめられている。
「……姐さん。その、お姿は……」
く、をうように絞りされた梶原の声。そのたった言に含まれた凄まじい殺気に、部の空気がさらに段とたく張り詰めた。
梶原の線が、ゆっくりと斜めへと落とされる。
そこには、の首を今なお力任せに掴んでいる、勢子の赤い爪のえたがあった。
勢子は引き攣った顔で、自分のと、梶原の射抜くようなを交互に見つめた。
「え……ちょっと、あんたたち、何してんのよ? 私よ! 熊切広文の女の、勢子よ!」
勢子が声を張りげても、の組員たちは誰として顔をげない。部を満たす沈黙は、彼女の言葉を無慈に拒絶していた。
その、直する男たちの列の最奥、末席の端から、の男が転がるようにして駆けしてき、滑り込むようにをった。
熊切組の組であり、勢子の夫である熊切広文だった。
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勢子の顔が、救いを見したかのようにパッとるくなった。
「あなた! ちょうど良かったわ! このたちったら、私の言うことを――」
だが、広文の猛烈な勢いのは、勢子のメートルのところで急ブレーキをかけたように止まった。
広文の線が、梶原のにつの姿を正面から捉えた。
その瞬、広文の顔面から、あらゆる血の気がサーッと引いていった。気を通り越し、まるでのような蒼さがその皮膚を覆い尽くす。
次の瞬、広文は獣のような唸り声をげ、勢子の首へとびかかった。
「ぎゃっ!?」
勢子の鳴ががった。広文は全体を乗せた万力のような力で、の首にい込んでいた勢子の指を、本ずつ力任せに引き剥がした。
「せッ! 貴様、何をしてるんだッ!」
勢子は激痛に顔を歪め、赤く鬱血した自分の首を押さえながら、夫を睨みつけた。
「な、何すんのよ! 痛いじゃない!」
そのすぐ横で、梶原が氷のようにたい声で、く呟いた。
「……熊。おの、女か」
広文の喉仏が、ひくりときくした。全から脂汗が吹きし、膝がガクガクと震えている。
「……は、はいッ……!」
広文は血った目で勢子の肩を鷲掴みにすると、に激しく揺さぶりながら、鼓膜が破れんばかりの号を浴びせかけた。
「おッ! 誰にをしたか分かってんのかッ!?」
勢子は痛みに顔を顰め、理解できないといった様子で眉を寄せた。
「誰って……ただの同級の、貧乏な継ぎ接ぎじゃない! 学の、散々いじめてやった――」
広文の顔が、恐怖と絶望で激しく引き攣った。
「本の会の奥方だぞッ! 竜会の姐さんだッ!」
静まり返った部に、その声が霊した。
勢子の喉が、ひくりと詰まった。息を吸い込むことすら忘れ、目を見いたまま固まる。
「……本の……会の……? う、嘘でしょ……? だって、この女、ただの卒で、縫製で働いてた貧乏よ……!?」
「滅な利くんじゃねえッ!」
広文の声が、勢子の言葉を容赦なく叩き潰した。
「本の姐さんだぞッ! 俺たちが束になっても逆らえねえ、竜会会・造の、本妻の姐さんだッ!」
広文の絶叫を浴びせられ、勢子の線が、自らののひらへとゆっくりと落ちていった。
さっき、そので掴んだ黒髪の触。
からたいビールを注ぎ切ったの、あの酷なのき。
「あ……私、さっき……」
勢子の脳裏に、自らが犯した為の恐ろしさが、遅れて押し寄せてきた。彼女はを忘れ、青ざめた顔で激しく首を横に振った。
「ち、違うのよ! 私は悪くないの! この女が、同窓会で勝に私に突っかかってきて……ちょっと揉めただけなのよ!」
その見苦しい言い訳を聞いた瞬、梶原がゆっくりと勢子の方へと体を向けた。
「……揉めただけ、だと?」
梶原のに射すくめられ、勢子の目が激しく泳いだ。
「ビ、ビールを……ちょっとに、こぼしちゃっただけで……」