"「妻のヒモになれ」と笑われた夜、専務が頭を下げた" 第10話
だが、その静けさの底には、刃物のような度が宿っていた。
「あなたは何も、恥じることなんてしていないわ」
美穂はゆっくりと私のを引き寄せ、両でしっかりと包み込んだ。 温かかった。 凍りついていた私の指先に、じんわりと血が通っていくような温もり。
「徒の成を第に考え、子どものを守るために自分のを削った。教育者として、これ以誇らしい仕事がどこにあるの? 恥じるべきなのは、教育をい物にしているあの女と、それを放置してきたあの会社の仕組みよ」
「美穂……」
「今夜、あの会であなたに向けられた言葉を聞いた、私は妻として、あの女をそので引き裂いてやりたいとった。それほどのりを覚えたのは、まれて初めてだったわ」
美穂の瞳に、かすかな揺らぎがった。 だが、次の瞬、彼女は社取締役としての、極めて怜悧なビジネスパーソンの顔を取り戻した。
「でもね、浩さん。私はあので、取締役の権力を振りかざしてあの女の首を切るような真似はしなかった。……できなかったの」
「え……?」
美穂は私の目を真っ直ぐに見据えた。
「私が役員としての力を使ってあの女を処分すれば、どうなるとう? 社内はこう囁くわ。『佐久講師は、取締役の夫だから守られたんだ』『結局はコネと特権の力だ』って。そうなれば、あなたが現で積みげてきたの誠実さも、あのノートに刻まれた若菜ちゃんの努力も、全部が嘘になってしまう」
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息が止まりそうになった。
「会社法における利益相反の原則からも、特別利害関係である私の発言で処分を決めることは許されない。私は、コンプライアンス委員会および取締役会に対して、本件に関する切の議決権と調査判断からの『完全な除斥(じょせき)』を正式に申しるわ」
「除斥……君は、関わらないってことか?」
「そうよ。私は審査のから完全にを引く。妻として、あなたの傍にいるだけ。――でもね、浩さん」
美穂の元に、たく研ぎ澄まされたが宿った。
「あの女は、決定な判断ミスを犯したのよ」
「判断ミス?」
「ええ。もしあの女が、あなたの通報をもみ消した総括課のように、密の湿な嫌がらせだけで終わらせていれば、組織のに葬りることができたかもしれない。でも今夜、あの女は数百の社員と、来賓の目ので、あなたを公然と罵倒したのよ」
美穂は静かにちがり、リビングの窓のを見つめた。 たい夜が、ガラスをカタカタと揺らしている。
「あの会には、役員や部の監査役もいた。現の若い講師たちも見ていた。もはや『指導のき過ぎ』や『現の教育方針の違い』などという言い訳は通用しない。公然のパワーハラスメント、そして職環境配慮義務のな違反。――公式の調査委員会がかざるを得ない状況を、自らの傲さで作りしたのよ」
美穂は振り返り、私に向かってさく頷いた。
「浩さん。戦いなさい。誰かの夫としてではなく、埼玉第3教の、のプロの英語講師として。あなたがこれまで残してきた真実の記録を、あの腐った組織の机のに、叩きつけてやりなさい」
その言葉が、私の背骨に、失われていた力を注ぎ込んでいくようだった。 逃げるな、と。 自分の誇りを、自分ので取り戻せと、妻は言っているのだ。
「……わかった。逃げないよ、美穂」
翌朝。 午分。 私のスマートフォンが震えた。 画面に表示されたのは、本社コンプライアンス推本部の直通番号だった。
本社最階、第1特別会議。 普段は役員会やな経営戦略会議にしか使われないその部は、苦しい空気に満ちていた。
方形の巨なマホガニーのテーブル。 座には、社の弁護士を交えたコンプライアンス調査委員会のメンバーが並んでいた。 その奥の壁際には、代表取締役社である隆之が、腕を組んで険しい表で座している。
そして、私の正面。 昨夜と同じチャコールグレーのスーツにを包んだ瀬真理子が座っていた。 昨夜の狼狽ぶりを必に打ち消すかのように、髪を筋の乱れもなくえ、背筋を伸ばしている。 だが、その膝ので握りしめられた両は、わずかに震えていた。