"四十八歳、二十五年の家事を「無職」と呼ぶ夫へ" 第18話
佐藤子。 私は今から、誰の妻でもない、ただの私に戻ったのだ。
尾駅から駅れた、私鉄沿線の造アパート。 階の角部、6畳のとさなキッチンのついた1DKが、私のしいだった。
引っ越し業者が運び込んでくれた段ボールは、全部で箱。 あの広いをて、私の元に残ったの回りの荷物は、本当にそれだけだった。
畳のに敷いた煎餅布団に腰をろし、私は部を見渡した。 壁はし黄ばんでいて、窓のからは折、線をるのいジョイント音が聞こえてくる。
狭い。 けれど、驚くほど静かだった。
誰かが階段をドスドスと踏み鳴らしてりてくる音に、怯える必はない。 嫌な舌打ちに胃を縮めることも、脱ぎ捨てられたの匂いにため息をつくこともない。
カーテンをけると、午の柔らかなの差しが、何もないフローリングのに温かいの角を描いていた。
ピンポーン、と控えめなチャイムが鳴った。
ドアをけると、息を切らした奈美がっていた。 には、段ボールに入ったさな荷物を抱えている。
「お母さん! にった!」
「奈美……どうしたの、仕事は?」
「今は半休取ったの。はい、これ。築祝い」
部にがり込んだ奈美が箱をけると、からてきたのは、るいオーク材で作られたさな丸いカフェテーブルと、脚の製チェアだった。
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「これ……」
「お母さん、昔から言ってたじゃん。いつか自分の好きな具だけで暮らしたいって。あのの苦しい黒いダイニングテーブル、ずっと嫌いだったでしょ」
奈美は具を取りし、際よく脚を組みててくれた。 窓辺の、番の当たる所に置かれたさな丸テーブル。 指先で撫でると、無垢のの温もりがじんわりと伝わってきた。
「お母さん、座ってみて」
促されて子を引いた。 すっぽりと背が包まれる。
奈美が持参した気ケトルでお湯を沸かし、マグカップにドリップコーヒーを淹れてくれた。 部いっぱいに広がる、ばしい豆の匂い。
「お母さん、おめでとう」
奈美がさな声で言った。
「やっと、自分のに帰ってこれたね」
マグカップを両で包み込むと、喉の奥がツンと痛んで、界が滲んだ。 。 私はずっと「自分の」にいるつもりで、誰かののメンテナンス係をしていただけだったのだ。
啜ったコーヒーは、驚くほど苦く、そして温かかった。
から、文化振興事業団でのしい仕事が始まった。
歳の。 現実は、決して甘くはなかった。
採用された総務課のオフィスには、私よりひと回り以も若い職員たちが、何わぬ顔でカタカタと速でキーボードを叩いていた。
「川さん、この稟議、クラウドのワークフローに通しておいてください」
「予算の捗管理、共のスプレッドシートに反映させておいてね」
び交う単語の半分が、に入ってこない。 公民館のパートで使っていた旧式のソフトとは、画面の仕様も操作もまるで違っていた。 マウスを握る指先が張り、操作を誤って画面を閉じてしまうたびに、背筋がヒヤリとたくなった。
「すみません、もう度教えていただけますか」
代の契約社員の女の子に、何度もをげた。 若い子の眉が瞬だけピクリとく。その「またですか」という無言の空気に、胸の奥がチクリと痛む。
昼休み。 ビルの非常階段の踊りで、私はコンビニの百円のおにぎりをかじりながら、さなメモ帳を必でめくった。
ショートカットキーの覧。 システムの操作順。 話の取次ぎルール。
『おみたいな世らずが、代半からひとりできていけるほど、世のは甘くない』
元夫の呪詛のような声が、の奥で蘇る。
——負けてたまるか。
私はおにぎりをみ込み、乾いた唇をキュッと引き結んだ。
義母のオムツを替えながら、子供の反抗期を受け止め、夜まで計簿をつけていたあの毎に比べれば、画面の操作を覚えることくらい、なんてことはない。 私のは、理尽に耐え、段取りを組み、臭く現を回し続けるための訓練期だったのだ。
私はメモ魔になった。 言われたことはすべて順に落とし込み、誰よりもく勤して、の類を理した。