"朝食を捨てた義母に「二度と台所には立ちません」" 第16話
ちがって、台所へ逃げそうとする気配配。
私がをきかけた、そのだった。
「――俺が、頼んだんだ」
く、けれど芯の通った声が、静まり返った座敷に響いた。
声の主は、のの真の座布団に座っていた義父、正志だった。
正志は両を膝に置き、ゆっくりと背筋を伸ばした。 術の痩せた体躯。 けれど、その表には、普段の居でテレビを眺めていたの曖昧な怠惰さは微もなかった。
「伯母さん。千代の料理がないのは、俺が頼んだからなんだ」
伯母が目を丸くする。 親戚たちも、顔を見わせながら息を呑んだ。
「正志さん、どういうことだい?」
正志は呼吸置き、隣に座る妻の横顔をじっと見つめた。 義母は驚いたように顔をげ、夫の顔を見つめ返している。
「俺はね、今の、胆管の術をして入院した。退院してからも、痛いだの辛いだの言って、千代に甘えっぱなしだった」
正志の声は、静かだった。 けれど、言言が、古びた本の梁に染み込むようにかった。
「朝起きてから夜寝るまで、俺は座子から歩もかず、千代に茶を淹れさせ、飯を作らせ、薬を運ばせていた。千代のを見たことがあるかい? あかぎれだらけで、節くれって、夜には腰が抜けるほど痛んでるんだ。それなのに俺は、『千代は事が好きだから』『昔からやってるから』と、見て見ぬふりをしてきた」
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義母の息が止まった。 瞳が揺れ、みるみるうちに涙が盛りがっていく。
「だ。俺がで仕事をして、を稼いでくれば、計も庭も全部で回してくれるのが当たりだとってた。親戚が集まれば、分の飯を千代に作らせて、俺は酒をんでふんぞり返ってたんだ」
正志はく、をげた。 の畳に額がつくほど、く。
歳を迎えた主役の男が、親族全員ので、己の怠を晒してをげている。
「千代の体を壊しかけていたのは、病気じゃない。俺の甘えと、このの無神経さだ。だから、今の祝い膳は仕しにした。息子と娘が配して、親父の還暦を祝うために用してくれたものだ。千代の料理を期待してくれた親戚のみんなには申し訳ないが……俺はもう、千代に命を削ってまで料理を作らせたくない」
座敷のは、を打ったような静寂に包まれていた。
伯母は箸を置き、言葉を失ったように正志を見つめていた。 誰も茶化さない。 誰も反論しない。
、方の古い制度ので「主婦の無償の労働」を当たりの空気として吸ってきた親戚たちが、初めてその空気のさに気づかされた瞬だった。
「……千代さん」
やがて、本の伯母が、静かにをいた。 その声には、先ほどまでの刺々しい詮索の響きは消えっていた。
「そうだったのかい。らなかったよ。……あんた、ずっとで背負ってたんだねぇ」
伯母は箱の蓋を、おしそうに撫でた。
「いいじゃないの、仕し。派なおだよ。修平ちゃんも綾子ちゃんも、派にお父さんの還暦を仕切ってくれて。……千代さん、今は座って、みんなと緒にお酒をおあがり」
その言葉を図にするように、親戚たちから柔らかなざわめきが戻ってきた。 「そうだそうだ」「千代さん、お疲れ様」「正志、いいこと言うじゃないか」
温かい声が、座敷を満たしていく。
けれど、義母はかなかった。 膝のに置かれたのひらに、ボロボロと粒の涙が零れ落ちていた。 着物の膝のあたりに、濃いの染みが広がっていく。
世体を失うと恐れていた。 料理を作らなくなったら、親戚からろ指を指され、このでの居所を失うと信じ込んでいた。
それが、違ったのだ。 包丁を握らなくても、鍋のにたなくても、の苦闘を認めてくれるが、確かにここにいた。
義母の嗚咽が、さく漏れた。 正志が、器用なつきで、妻の肩にそっと触れた。
宴席は、穏やかにんだ。
修平と綾子が酒を注いで回り、親戚たちの笑い声が座敷に満ちていく。 私は廊の隅にち、めたお茶を差し替えるため、しい急須を持って座敷の引き戸にをかけた。
その、背で微かな擦れの音がした。
振り返ると、義母がっていた。
座敷の喧騒から抜けしてきたのだろう。