"父親になりたくないなんて、一度も言ってない" 第12話
夫は目を逸らさなかった。 瞬きもせず、私の顔をじっと見つめていた。 そして、さく、けれど迷いのない声で答えた。
「……ああ。考えてたよ」
の奥で、ゴーンと鐘が鳴ったような気がした。 覚悟していたはずだった。 それでも、実際に夫のから「婚」という言葉の輪郭を突きつけられると、元が崩れ落ちるような眩暈がした。
「……そっか」 マグカップを握る指先が、くなるほど張った。
「私と結婚したこと、悔してる?」
「してない」 夫は即座に首を横に振った。そこにはミリの迷いもなかった。
「奈美と会えてよかった。結婚してからの、本当に楽しかったよ。休にでかけたり、くだらないことで笑いったり……奈美と作ったいの全部が、俺のの宝物だよ。それだけは、絶対に嘘じゃない」
夫の目が、赤く潤んでいた。
「今でも、奈美のことが切だ。してるよ。……でもさ」 夫の声が、かすかに震えた。
「してることと、子どもを諦められることは……別だったんだ」
残酷なほど、確な答えだった。
「歩きながら、ずっと自問自答したよ。子どもがいなくても、奈美がいれば幸せじゃないかって。そうやって自分を納得させようとした。でも、町でさな子どもを連れた族とすれ違うたびに、胸の奥が張り裂けそうになるんだ。『どうして俺はあっち側にいけないんだろう』って」
広告
夫は拳を握りしめ、テーブルのに置いた。
「この先、何経っても、その痛みが消えることはないとう。今はできても、、に……ふとした瞬に、奈美をんでしまうが来るかもしれない。『おのせいで、俺は親になれなかった』って、絶対に言ってはいけない言葉を、いつかおにぶつけてしまうかもしれない。……俺は、それが番怖いんだ」
夫の目から、粒の涙がこぼれ落ち、テーブルの目を濡らした。
責められているわけではなかった。 夫は、自分のに芽えつつある醜いから、私を守ろうとして泣いていた。 私をしているからこそ、私を傷つける未来に怯えていた。
「悠介、私ね」 喉の奥が引き攣れて、うまく息が吸えなかった。
「最なだった」
夫が驚いたように顔をげる。
「悠介が子どもを諦めるって言ってくれた、私、本当に嬉しかった。でもね……本当は、悠介に諦めてほしかっただけじゃなかったの」 私は自分の両をく握りしめた。爪がのひらにい込んで痛かった。
「悠介にも、『子どもなんていなくてよかった』って言ってほしかったの。だけのほうが絶対に幸せだって、の底からってほしかった。悠介がしそうな顔をするたびに私が苦しかったのは……悠介がだったからじゃない。私が、自分の罪悪に耐えられなかったからなの」
告しながら、自分の醜さに吐き気がした。
「自分の選択を正しいっていたくて、悠介のを否定しようとしてた。悠介のまで、私のい通りに変えようとしてたの。……本当に、ごめんなさい」
をげると、涙がとめどなく溢れて、スカートの膝のに染みを作った。
夫は何も言わなかった。 ただ、テーブル越しに私のに、そっと自分のをねてくれた。 温かくて、きくて、ずっと私を守ってくれただった。
「奈美が謝ることじゃないよ」 夫の掠れた声が、からってきた。
「奈美は、最初から何も隠してなかった。結婚するから、子どもはいらないってはっきり伝えてくれてたんだ。悪いのは、その言葉を甘く見て、『いつか変わるだろう』って都よく信じ込んでた俺だ。奈美のき方を奪おうとしてたのは、俺のほうだよ」
お互いに、相の胸に顔を埋めて泣いた。 りも、憎しみも、罵りいもなかった。 そこにあったのは、ただお互いを切にいいながら、それでもどうしても交わらない、決定なの断絶だけだった。
どれくらいそうして泣いていただろう。 やがて、部のが夕に包まれ始めた頃、夫がゆっくりとをいた。
「……奈美」
「うん」
「度、れて暮らしてみないか」
涙で霞む目をげると、夫は静かに私を見つめ返していた。
「別居、ってこと?」
「ああ。このまま同じで顔を突きわせてても、お互いに相の顔を窺って、本当の気持ちが見えなくなるとうんだ」