"遺体の上で眠り続けた十四年" 第3話
廊を通るたび、微かに漂うウイスキーの乾いたアルコールの残りが、昨夜の景が決して悪などではなかったことを由里に突きつけていた。
その奇怪な儀式は、も欠かされることなく続いた。
、……そして。
由里は、夫の異常性に怯えながらも、婚を切りす勇気を持てずにいた。彰は弁護士としてますます名をげ、社会位を確し、世からは「若きに婚約者を失う劇に見われながらも、それを乗り越えて誠実にきる名士」として称賛されていた。逆らうことなどできなかった。逆らえば、あの畳の暗に自分も引きずり込まれるのではないかという底れない恐怖が、由里のをもの、たい縄のように縛り続けていたのだ。
毎の夜、真から聞こえてくるウイスキーの注がれる音と、板を通り抜けてベッドの底を叩くような夫の呪詛の呟き。
由里は、その畳の真で、正体の悪を抱えながらという途方もない歳を眠り続けてきたのだった。
運命の歯が狂い始めたのは、〇〇のことだった。
の歳は、沿いに建つ老朽化した敷を確実に蝕んでいた。
のに列島を襲った型台と、の厳しい乾燥、そしてにわたるの湿気によって、敷の階の板が目に見えて沈み込み始めたのだ。
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廊を歩くたびに穏な軋み音が鳴り、居のガラス戸は建付けが悪くなって閉まらなくなった。
業を煮やした由里が、あるの朝の席でを決して切りした。
「彰さん、いよいよ基礎の事を頼まないと危険よ。昨の夜も、廊のがきく傾いて、このままではが抜けてしまうって務のも言っていたわ。あの……階のも、板の歪みが番酷いみたいなの」
トーストにバターを塗っていた彰のが、ピタリと止まった。
ゆっくりと顔をげた彼の両目は、と同じ、狂気じみた酷さで血っていた。
「触るなと言ったはずだ」
「でも、が傾いて倒壊したら元も子もないわ! 務のに見てもらうだけで――」
「絶対に駄目だ!」
彰はテーブルを激しく叩いてちがった。陶器のコーヒーカップがね、黒い液体がいクロスに染みを作る。
「あの部には、俺の系の歴史が詰まっているんだ! ので踏み荒らされてたまるか! 修繕など必ない! 傾いているなら、傾いたままにしておけばいい!」
そう鳴り散らすと、彼は鞄を掴み、嵐のように玄関をてった。
だが、そのの午、事態は彰の惑を越えて急転した。
庭の管が経劣化で破裂し、量のが階のへと流れ込んでしまったのだ。隣の民からの通報を受け、駆けつけた元の事業者と務の職たちは、敷の倒壊を防ぐため、緊急での排と基礎の補事をわざるを得ない状況に追い込まれた。
折悪しく、彰はそのからスイス・ジュネーブで催される国際権法のシンポジウムに席するため、成田空港からびった直だった。携帯話の波は届かず、連絡を取る術はない。
「奥さん、これ以放置したら盤ごと沈んじまいますよ。階の畳をげて、板をめくってを通し、補材を入れなきゃ駄目だ」
初老の務の棟梁に真剣な面持ちでそう告げられ、由里は震える声で承諾するしかなかった。を守るためには、夫の禁忌を破るしかなかったのだ。
午。
の鈍い陽が差し込む、もの、固く閉ざされていた階の畳の襖が、音をてて取り払われた。
部のにち込めていたのは、蓄積された埃の匂いと、分の級ウイスキーが畳の藁と混ざりって醸しされた、胸が悪くなるような甘酸っぱい発酵臭だった。
「うわっ……なんだこの匂いは。酒をこぼしてそのまま腐らせたのか?」
若い職がをつまみながら顔を顰めた。
部の央、畳の枚だけが、にわたって液体を注ぎ込まれ続けたせいで、黒ずんで激しく波打っていた。まるで、その枚だけが周囲の気を吸い取って変してしまったかのように。