"挙式前夜に「家を寄越せ」と迫る娘と、席を捨てた母" 第9話
……もう度と、俺のに現れるな」
「待って! 置いていかないで! 輔さん!!」
娘の絶叫を背に、輔さんは度も振り返ることなく玄関の引き戸をけ、夜ののへと消えていった。 でのドアがバタンと乱暴に閉まり、激しいエンジン音がざかっていく。
に残されたのは、たたきのに座り込み、マスカラで真っ黒になった涙を流す娘の姿だけだった。
「……あ、あああ……っ!」 娘は自分の乱れた髪を掻きむしりながら、獣のような嗚咽を漏らした。 「なんでよ……! 何で私のをめちゃくちゃにするのよ!! お母さんのせいでしょ!! あんたがあのにサインさえしていれば、私は幸せになれたのに!!」
を拳で叩きながら、狂ったように私を罵倒し続ける。 その姿には、嫁の清楚さも、の女性としての品性も、何つ残っていなかった。 ただ、自分のい通りにならなかった現実に駄々をこねる、醜悪な子どもの姿だった。
私は、歩もかなかった。 駆け寄って背を撫でることも、ハンカチを差しすこともしなかった。
ただ、静かに娘を見ろした。 かつて、私の命よりも切だったはずの娘。 だが、今の私の胸のにあるのは、鋭い痛みではなく、底れない疲労と、え切った諦めだけだった。
「真央」 私の声は、夜ののように静かだった。 「あなたのを壊したのは私じゃない。
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の丈にわない見栄を張り、を踏み台にして幸せをに入れようとした、あなた自の嘘よ」
娘の泣き声が、ピクリと止まった。 真っ赤に充血した目が、信じられないものを見るように私を見げる。
「帰りなさい。あなたがむ所は、ここにはないわ」
「……お母さん……?」
「先」 私は娘から線をし、司法士の先に向き直った。 「本は夜分遅くに、本当にありがとうございました。今の調や連絡につきましては、すべて先を通じてめていただけますでしょうか」
「承いたしました」 さんは丁寧に礼し、類を鞄に仕うと、娘の横をすり抜けて静かに玄関をてった。
取り残された娘は、しばらく呆然とを見つめていたが、やがてよろよろとちがった。 散らばった調申のくずをひったくるように拾い集めると、私と健司さんを、親の仇を見るような憎悪の目で睨みつけた。
「……絶対に許さないから」 娘は掠れた声で毒を吐いた。 「あんたたちのこと、獄に落としてやるから……!」
娘はトレンチコートの裾を翻し、夜の宅へと逃げるようにりっていった。 ざかるヒールの音が、アスファルトのに吸い込まれて消える。
私はゆっくりと玄関の引き戸を閉め、鍵をかけた。
を支配していた異様な気が引き、しんとした静寂が戻ってくる。
元からどっと疲労が押し寄せてきて、私は玄関の壁にをついた。
「弓子さん」 健司さんがそっと私の肩を支えてくれた。 そのの温かさに、胸の奥底に溜まっていたい澱が、しだけ溶けていくような気がした。
「終わったわね、健司さん」 私はさく息を吐いた。 「あの子が法に攻めてきても、もう何も怖くないわ。あなたのおかげよ。本当にありがとう」
「いや……僕がしたのは、当たりの記録を残していただけだよ」 健司さんはいつもの穏やかな顔で微笑んだ。 だが、その瞳の奥に、何か言いれぬが差しているのを、私は極度の疲労のせいで見落としていた。
居に戻り、めきったほうじ茶を片付け、計を見るとすでに夜のを回っていた。 い、あまりにもすぎるだった。
私は呂に入り、濡れた髪をタオルで拭きながら、ようやく自分の布団へと潜り込んだ。 緊張の糸が切れたのか、のような眠気が識を包み込んでいく。
だが、どれくらい眠っただろうか。 喉の渇きを覚えてふと目を覚ました。 枕元の計は、午を指している。
台所へをみにこうと寝をて、暗い廊を歩いた。 その、階の奥にあるさな客のドアの隙から、細いかりが漏れているのが目に入った。
客――そこは、健司さんが自分の斎兼寝として使っている畳のだった。
普段ならとっくに寝息をてているだ。