"26年尽くした家を出る私を、車椅子の娘は無表情で見送った" 第17話
コンロので、芽さんが楽しそうに鍋をかき混ぜている。
ダイニングテーブルのには、形がいびつで、しみの揃いな参とジャガイモが並んでいた。 彩が、自分ので包丁を握って切ったのだと、すぐに分かった。
、私が台所でやってきたような、寸分の狂いもない千切りや、料亭のような飾り切りではない。 器用で、ぎこちなくて、けれど、命力に満ち溢れた料理。
その景を見た瞬、私の体に染み付いた習性が、無識に顔をしかけた。
「あ……彩、玉ねぎ焦げそうよ。私、代わろうか――」
袖を捲りげ、キッチンへを踏みそうとした。
その瞬。
彩が、カウンター越しにクルリと子を回転させ、私をじっと見つめた。
っているのではない。 ただ、悪戯が見つかった子供のような、穏やかで、澄んだ瞳。
私は、ピタリとを止めた。 捲りげかけた袖からをし、ゆっくりと両を体のに戻した。
……そうだ。 ここはもう、私の台所ではないのだ。
私はさく息を吸い込み、微苦笑を浮かべながら、言葉を言い直した。
「……何か、私に伝えることはある?」
彩は、満そうに破顔した。
「ううん。お母さんは、そこのソファに座ってて」
彩はめのダイニングテーブルの、番当たりのいい特等席をのひらでポンと叩いた。
「今は、ただのお客さんなんだから」
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お客さん。
その響きが、温かいお湯のように胸の奥底へ染み渡っていった。
。 私は誰かのために朝から晩までき続け、めた残り物を台所でちいし、族のためにを削ることだけが自分の役割だと信じ込んできた。 座ることを許されず、謝されることもなく、ただ便利な能として消費され続けた々。
その私が。 今、娘ので、の「」として、客席に招かれている。
「……ありがとう」
私はソファに腰をろした。 柔らかなクッションが、私の体を優しく受け止めてくれる。
その、リビングの話の子が鳴った。 ナンバーディスプレイを見た彩が、すっと眉を寄せた。
元夫からだった。
彩はスピーカーホンにせず、静かに受話器を取った。
「もしもし」
受話器の向こうから、ヒステリックな男の鳴り声が漏れ聞こえてきた。
『彩! お、今俺からの話を何回無した! ばあちゃんがをして寝込んでんだぞ! 今はおが夕飯の世話に来る約束だろ! く戻ってこい!』
部の空気が瞬だけ固まりかけた。 芽さんが配そうに彩を見る。
けれど、彩の表は、微だにしなかった。 眉毛つかさず、淡々と、事務な声で受話器に向かって告げた。
「お父さん。があるなら、往診の先を呼んでください。あと、契約している訪問護の緊急窓に話してください。
番号は蔵庫の横に貼ってあります」
『おが来れば済む話だろ! 親の言うことが聞けねえのか!』
「私は医者でもヘルパーでもありません。救急を呼ぶか、専に連絡してください。私にはできません」
『おい、彩――!』
ガチャリ。
彩は躊躇なく通話を切り、受話器をフックに戻した。 そして、何事もなかったかのように、芽さんに向かって笑いかけた。
「芽ちゃん、カレーできた?」
「うん! バッチリ煮込めたよ!」
見事なまでの、境界線。 罪悪に引きずり回されることもなく、相ののゴミ箱になることも拒絶する。 それは、かつての私がかけても引くことのできなかった、くて美しい境界線だった。
テーブルのに、湯気をてるチキンカレーと、揃いな野菜のサラダが並べられた。
「お待たせしました! 宮本真理子様、どうぞお召しがりください!」
芽さんがおどけたように言い、彩がスプーンを私のに置いてくれた。
「いただきます」
スプーンを取り、カレーをに運ぶ。 しだけ塩気がくて、野菜はし固かった。
けれど。
温かかった。 体の芯まで、じんわりと染み渡るように美しかった。
「……どう? お母さん」
彩が、しそうに私の顔を覗き込んできた。
私はスプーンを置き、ナプキンで目元をそっと押さえた。 涙が零れそうになるのを、必で堪えながら。
「……美しいわ」
声が、しだけ震えた。
「すごく、美しい」
彩の顔に、今番の輝くような笑顔が咲いた。
け放たれた窓から、初の夜がふわりとカーテンを揺らし、部のを吹き抜けていく。 くでのる音が微かに響いていた。
私はもう、誰かを縛る檻ではない。 娘もまた、私のを埋めるための代わりではない。
私たちは、それぞれのでち、それぞれの所で、自分のをきている。
お茶の湯気を両で包み込みながら、私は窓のの空を見げた。 私の本当のが、この温かい客席から、静かに始まっていた。