"夫が失明してから、私はもう明かりを消せない" 第9話
でもな……あいつが言ったんだ。『奥さん、美だな。こんな綺麗な嫁さんに介護されて、おは幸せ者だな』って」
弘の唇が、醜く歪んだ。
「あいつ、おを見てたよ。リビングを歩くおの元や、無防備にソファで居眠りしてるおの顔を、いやらしい目でじっと見てた。俺には見えないけど、あいつの息遣いで分かった」
「……それを、分かっていて部に入れたの?」
「そうだ」
弘は吐き捨てるように言った。
「初めてあいつを寝に入れた夜、おは何もらずに、薬をんでのように眠ってた。あいつがおの枕元にって、息を呑んでるのが分かったよ。その、俺は初めて……おのにてた気がしたんだ」
私の指先が、たく凍りついていく。
「おは俺を世話しているつもりで、実は、俺の許しがなければ寝顔つ守れない無防備な女だったんだよ。俺があいつを招き入れなければ、おは平穏に眠れる。俺があいつを呼べば、おの全は瞬で消える。おの殺与奪の権を握ってるのは、おじゃなくて、この目が見えない俺なんだって……そうったら、ゾクゾクしたよ」
「……狂ってる」
掠れた声が、私の唇からこぼれた。
「狂ってなんかないさ!」弘は声を張りげた。「おだってそうだろう! 夜に物音がして、何かがおかしいって怯え始めた、おはどうした? 俺のベッドに潜り込んできたじゃないか! 『弘、何か聞こえない?』『怖いよ、弘』って、俺の腕にしがみついて震えてただろ!」
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あの夜の記憶が、鮮に蘇る。
リビングで物がいていた朝、夜に審な音がした夜。 私は確かに、唯の族である弘に助けを求め、彼の背に縋り付いていた。
『丈夫だよ、美穂。俺がいるから』
あの、夫はそう言って、私のを優しく撫でてくれたはずだった。
「あのだけだ」
弘が、恍惚とした表で呟いた。
「おが俺にしがみついて、震えながら助けを求めてきたあのだけ、俺は本物の『夫』に戻れたんだよ。おが俺を必としてくれた。おの恐怖だけが、俺を男にしてくれたんだ」
弘の目から、再び涙が溢れした。 だがそれは、悔の涙ではなかった。 失われた歪な支配への、執着の涙だった。
「だから……黒田には、もっとおを怖がらせてほしかった。もっと怯えて、俺かられられなくなればいいとってた。おが完全に壊れて、俺の腕の以では眠れなくなるまで……ずっと」
部のを、たいが吹き抜けた。
窓のでは、カラスがく鳴いていた。
私はゆっくりとちがった。
元に座り込む男を見ろす。 そこにはもう、夫の面など片も残っていなかった。
ただ、自尊の残骸にすがりつき、者の尊厳を踏みにじることでしか自分を保てなくなった、れで醜悪な怪物が蹲っているだけだった。
「……弘」
私は静かに言った。
「あなた、自分の目が病気でを失ったとってるんでしょうけど」
弘がピクリと反応し、顔をげた。
「違うわ。あなたは最初から、何も見ていなかったのよ」
それだけを告げて、私は背を向けた。
「美穂! 美穂、くな! 置いていかないでくれ!」
背で、弘がをい回る音がした。 畳まれていない段ボールを倒し、ゴミ袋を蹴散らしながら、彼が私の首を掴もうと腕を振り回す。
「美穂! にしないでくれ! 暗いんだよ! ここはずっと暗いんだ!」
その絶叫を背に受けながら、私は度も振り返らずに玄関へと歩いた。
ドアをけ、の廊へる。 藤原弁護士と警官が、静かに私を迎えてくれた。
「……終わりましたか」
「はい」
私は鉄の扉を、両でしっかりと押し閉めた。
カチリ、と錠がりる乾いた音が、廊に響き渡った。
それからヶが過ぎた。
婚の続きは、すべて弁護士を通じて滞りなく完した。 マンションの売却先も決まり、諸経費と宅ローンの残債を清算したの数百万円が、私の個座に振り込まれた。
弘は実に引き取られ、両親の管理で活しているという。 黒田には罰刑が科され、度と私の活圏にづかない旨の誓約が交わされた。
私は職から私鉄で分ほどれた、築浅の賃貸マンションに引っ越した。
階の角部。 オートロックがあり、防犯カメラがエントランスとエレベーターホールに設置されている。