"白紙の退職届を突きつけた夫が、3ヶ月後に「頼むから辞めないでくれ」と叫んだ日" 第6話
義母も、以のように私に嫌を言う元気を失い、居のこたつで息を潜めるように丸くなっていた。
そして、ヶ目の終わりの曜。
事件は起きた。
午。 初の湿った空気がガラス窓のに淀む、購買・調達フロア。 数の社員がカタカタとキーボードを叩く静寂を、フロア奥のエレベーターホールのけたたましい鳴り声が切り裂いた。
「せよ! 俺は取引先の社だぞ! 妻に会いに来ただけだ!」
バタバタと複数の音が絨毯を踏み鳴らす。 フロアの線が斉にエントランスへと向いた。
警備員のを振りほどき、顔を真っ赤にして崩れ込んできたのは、夫だった。
よれよれのスーツ。結び目が緩んでに曲がったネクタイ。 には、汗でぐしゃぐしゃになった角2サイズの茶封筒が握りしめられている。
「おい、由美! 由美はどこだ!」
フロアの空気が瞬で凍りついた。 誰もが息を呑み、言葉を失ってち尽くしている。
私は自席からちがった。 臓がトクンと嫌な音をてたが、背筋だけは真っ直ぐに伸ばした。
「……何の用ですか、佐藤社」
私の声に反応し、夫の血った目が私を捉えた。 鬼のような形相でデスクのをすり抜け、私の目のまで突してくる。
周りの輩たちが息を呑む音が聞こえた。
夫は私の両首を、痛いほどの力で鷲掴みにした。
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「由美! 頼む、辞表の件、なかったことにしてくれ!」
フロアに響き渡る声だった。 首の皮膚が軋む。夫ののひらは、異様なほどたく湿っていた。
「頼むから、この会社を辞めないでくれ! 今すぐ購買の現に戻ってくれよ!」
……は?
の芯が、すっとたくなっていくのをじた。
「何を言っているんですか。をしてください。ここはオフィスです」
「せるわけねえだろ!」
夫の目から、粒の涙がボロボロと零れ落ちた。 り狂っているのではない。恐怖で完全にパニックに陥っていた。
「おがいなきゃダメなんだ! おが現にいてくれないと、会社が、俺の会社が潰れちまうんだよ!」
フロアの隅々まで、夫のけない絶叫が霊した。 かつて「おの雀の涙みたいな料」「女の分際で」と私を鳴りつけた男が、数の輩や同僚ので、私の首にすがりついて泣いている。
滑稽で、れで、そして底れず醜かった。
「佐藤社。そこまでにしていただけますか」
静かな、だがガラスを切り裂くような鋭い声が響いた。
フロアの奥から、田美咲部が歩みてきた。 腕を組み、徹な線を夫の曲がった背に落としている。
夫は美咲部の姿を見るなり、縋り付くように体を向けた。
「た、田部! 部からも言ってやってください! 妻は、由美はまだ辞表を受理されてませんよね!? あいつを現に戻してください! あいつが昔みたいに、各ホテルの支配にを利いてくれれば、全部丸く収まるんです!」
美咲部は眉ひとつかさなかった。 侮蔑のを隠そうともせず、ややかに夫を見ろす。
「佐藤社。きな勘違いをなさっているようですね」
「え……?」
「佐藤由美さんは、今退職の挨拶に来たわけではありません」
美咲部は私の隣まで歩み寄り、私の肩にそっとを置いた。
「彼女は先付で、設された『コンプライアンス推・調達ガバナンス班』のリーダーに就任しました。全社サプライヤーの契約履状況を監し、正や遅延を厳格に監査する責任者です」
夫のが、ぽかんといた。 喉がヒックと引き攣った音をてる。
「ガ、バナンス……? 責任者……? 嘘だろ、だって、あいつはおふくろの介護で辞めるはずで……俺がを……」
「あなたが私宛てに送りつけてきた菓子とのことなら、とっくに破棄しました」
美咲部の酷な言葉が、夫のに叩きつけられた。
「それから、もうつ。社内コンプライアンス規定に基づき、佐藤リーダーは利害関係者である佐藤商事に関する切の業務から『完全除斥』されています。彼女は、あなたの会社の契約を助けることも、逆に個なみで打ち切ることも、システム能なにあるの」
夫のから力が抜け、私の首が解放された。 赤く鬱血した自分の首を、私は静かに見つめた。