"白紙の退職届を突きつけた夫が、3ヶ月後に「頼むから辞めないでくれ」と叫んだ日" 第1話
結婚して、夫が初めてトーストを焼いた。
皿のに置かれた焦げ茶のパンと、湯気のつマグカップ。 その横に滑り込ませるようにして差しされたのは、の退職届だった。
「来から、仕事辞めてくれ。おふくろの面倒、本格に見てほしいんだ」
喉の奥が、からりと乾いた。
……は?
言葉のを脳が処理するよりく、夫の母親――義母が隣のダイニングチェアから満そうに喉を鳴らした。膝に掛けたブランケットをえながら、細めた目で私を見げる。
「そうよ、由美さん。女がも過ぎて、毎朝満員に揺られて何になるの。世体だってあるでしょう。息子がで派に会社を回しているのに、嫁がいつまでも遣い稼ぎにてちゃ恥ずかしいわ。を守るのが、妻の務めよ」
「……遣い稼ぎ?」
わず声がこぼれた。
私は堅ホテルグループの購買部で、勤めている。 正社員として仕入れの現を支え、毎の取りも決して夫の言うような端ではない。の費も、費の半分も、私の座から引き落とされている。
「辞めません」
乾いた声で、はっきりと告げた。 その瞬、夫の顔が侮蔑と苛ちで歪んだ。
ドン、と陶器のマグカップがダイニングテーブルに叩きつけられる。 ねたコーヒーがい目のに茶い染みを作った。
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「おのその雀の涙みたいな料で、このが回ってるとでもってんのか!」
鳴り声が朝の静かなリビングに響き渡る。
「しは夫をてるってことを覚えろよ。おがで飯を作って、おふくろの病院の付き添いをしてくれれば、俺はもっと営業に専できるんだ。俺の会社がきくなれば、おがでをげて働く必なんて最初からないんだよ!」
義母は夫の剣幕に驚くふうもなく、さく頷いてみせた。
「健の言う通りよ。腰がってきた親をに預けるなんて、ご所にどんな顔をすればいいの。男の嫁でしょう」
私は何も言い返さなかった。 反論する言葉がなかったからではない。言っても届かない相だと、の歳で骨の髄までっていたからだ。
ちがり、台所から濡れ雑巾を持ってきて、テーブルのコーヒーの染みを無言で拭き取った。 布に染み込む茶い液体を見つめながら、指先がひどくたくなっていくのをじていた。
翌朝、私はいつも通り午分にをた。
夫と義母はまだ寝の奥で眠っていた。 玄関のドアを閉め、オートロックがカチャリと音をてた瞬、ようやく肺の底までのたい空気を吸い込めた気がした。
駅のホームに向かう取りは、昨までとは違っていた。
ただ耐えるだけの毎は、昨あの退職届を突きつけられた瞬に終わったのだ。
満員に揺られ、都のビジネスにある本社ビルへと向かう。 エントランスの自改札に社員証をタッチする。ピッ、というい子音が、私のを社会の歯として正当に承認してくれる。
このビルにを踏み入れて。 フロントの消耗品から客の級リネン、レストランの調料に至るまで、数百社のサプライヤーと向きい、見積もりを精査し、納期を調してきた。
夫が経営する「佐藤商事」も、その仕入れ先のつだった。
、脱サラして用品の卸を始めた夫に、私はホテルのコンペ報を提供した。もちろん規定通り、正式な入札続きを踏ませたでのことだ。 だが、当の佐藤商事は実績も資力もない零細企業。社に競り勝てる素など何つなかった。
それでも契約が取れたのはなぜか。
夫は「俺の営業力とが通じた」と今でも酒をむたびに豪語している。 だが現実は違う。 私が夜遅くまで残り、夫の杜撰な見積の数字をわせ、納品仕様の備をこっそり指摘し、現の支配たちに「佐藤商事の納品で何か際があれば、私がすべて責任を取りますから」とをげて回ったからだ。
夫がで威張り散らすための「社」
という板は、私の無償の残業と、擦り切れるような根回しのに成りっていた。
夫はその事実を、爪の先ほども理解していなかった。