"妻は毎晩八時、私を家から追い出す" 第23話
「……公正証、作ったよ」
美智子はコーヒーカップにを触れず、私の言葉を黙って待っていた。
「退職の借りも、会社の総務に相談する。誠さんへの支払いは、絶対に滞らせない。林くんのところへも……許してもらえなくても、に度は仕事の顔をして、何か伝えることがないか探すつもりだ」
私はテーブルのに両を置き、を乗りした。 指先が微かに震えていた。
「俺は、変わるよ。の自分からも、おに嘘をつき続けてきた自分からも、やり直したいんだ。……だから、美智子」
喉の奥がくなり、声が掠れた。
「に戻ってきてくれないか。もう隠し事は何もない。あので、もう度で暮らそう」
けない懇願だった。 歳にもなった男が、公ので罪を認め、を払う約束をした直に、その見返りとして妻の許しを乞うている。 自分の浅ましさに気づいていながら、それでも美智子のいないあのえ切ったの暗に耐える自信が、どうしても持てなかったのだ。
美智子は、私の顔をじっと見つめていた。 その瞳の奥には、軽蔑のはなかった。 ただ、果てしなくい、底れぬ憐が浮かんでいた。
「……修さん」 美智子の声は、静かだった。
「あなたは今、自分がどれだけ派な『反省』をしたか、私に褒めてほしいのね」
臓が、ドクンと嫌な音をてた。
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「違……そんなつもりじゃ」 「いいえ、そうよ。あなたは昔から、ずっとそうだった」
美智子はめたコーヒーにスプーンを入れ、音をてずに度だけ回した。
「が傾いたも、必で資繰りをして、をすすって借を返して……『俺はこれだけ族のために苦労しているんだ』って、自分を正当化してた。誠さんに怪をさせた罪悪を、自分の苦労できしようとしてたのよ」
美智子のが止まり、スプーンがカップの縁にカチリと当たった。
「そして今も同じ。公正証にサインして、貯を吐きして、誠さんにをげて……『俺は責任を果たした、だから許される資格がある』って、そうってるんでしょう?」
言葉がなかった。 美智子の言葉は、私の胸の最も柔らかく、最も醜い急所を、正確無比に貫いていた。
私は、責任を果たすために公正証を作ったのではなかったのか? 違う。 私は、美智子を取り戻すために。 世体を取り戻すために。 『過を清算した派な夫』というしい仮面をに入れるために、あの切れに判を押したのではないのか。
胸の奥が、たいで満たされていくような覚がした。
「美智子、俺は……」
「ねえ、修さん。つだけ質問させて」
美智子は背筋を伸ばし、私の目を逃げなく射抜いた。 の結婚活ので、度も見せたことのない、研ぎ澄まされた刃のような差しだった。
「もし、私が度とあのに戻らなくても」
喉が、引き攣った。
「もし、私があなたを許さず、婚届に判を押して、赤のとしてきていくことを選んだとしても……」
美智子は、言言を噛み締めるように言った。
「あなたはこれからもで、あの狭いアパートで爪にを灯しながら、誠さんへの送を続けられる? 林さんのたい目に耐えながら、自分の犯した過失を背負い続けられる? ……この補償を、『損な買い物をした』とわずにいられるの?」
喫茶のBGMが、くへ消えっていった。 周囲の客の話し声も、器のぶつかる音も、すべてが遮断された。
損な買い物をした。 その言葉が、私の脳内で爆発した。
もし美智子が戻らないなら? もし誰も私の反省を評価してくれず、孤独な老が待っているだけだとしたら? 私は、何のために百万もの借を背負い直したのか。 何のために、過の汚辱をのに晒したのか。
自分のの、醜い怪物が暴れ回るのが分かった。 『損じゃないか』『美智子が戻らないなら、何のもないじゃないか』と叫ぶ、浅ましい本音。
私は両で顔を覆った。 指の隙から、い息が漏れる。
いしていた。 、血だらけになった誠さんの腕。 のにび散った油。 婚約破棄になった林の、憎悪に満ちた目。 そして、毎晩に私を追いしながら、で台所のシンクを磨き、恐怖に震えていた美智子の背。