"妻は毎晩八時、私を家から追い出す" 第15話
私はちがり、ふらつくで階の納戸へと向かった。 階段をがる音が、やけにきく軋む。
納戸の奥、カビの匂いが染み付いた段ボール箱の。 、を清算した際に持ち帰った、処分しきれなかった類の束だ。 埃を被ったガムテープを引き剥がし、をにぶちまけた。
茶く変した元帳。税務署の受領印が押された決算。 そして、青いファイルに綴じられた『解雇予告当・賃未払細』。
ページをめくる指先が震える。 藤原が言っていた言葉、由紀が言っていた言葉が、ので激しく交錯していた。 『あんたが踏み倒した百万円だ』 『事故の、あので何が起きていたのか』
私は当、誠さんの事故と、取引先からの契約解除、そしての融資打ち切りに追われ、狂気配のただにいた。 目のを通り過ぎる数字と、号と、座の記憶しかない。 だが、元帳の数字を指で追っていくうちに、私の目はあるで止まった。
『林直 臨 解雇未払賃 精算済』
林。 その名を見た瞬、臓がきくねた。 もの、記憶の底に沈めていた青の顔が、突如として鮮に浮してきた。
当、歳。 誠さんので旋盤の補助に入っていた、物静かな臨雇いの若者だ。 真面目で、遅刻つせず、誰よりもくに来て油を差していた男。
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事故のあの、血だらけになった誠さんの腕を抱えて救急を呼んだのは、林だったはずだ。
だが、私の記憶はそこで途切れていた。 事故の、が操業止に追い込まれ、すべてのラインが止まった。 私は正社員だった誠さんへの補償と、取引先への違の面だけに奔し、臨雇いだった林との契約を、その週末にあっさりと打ち切ったのだ。
未払いの料、わずか万数千円。 それを封筒に入れて渡し、藤原に『もう来なくていい』と告げさせた。 それきり、私はあの若者のことなど度もいさなかった。
元帳の余に、当の藤原の殴りきが残っていた。 田区の古いアパートの所。 そして、その横に鉛でさく記された、現の連絡先らしきメモ。 藤原がどこかでにしたのだろう、数にきされた跡だった。
『林 田区郷 型エンジン・農修理』
私はスマートフォンを引っ掴み、メモの所を検索した。 摩川にい準業域。町が密集する角に、その修理は確かに実していた。
なぜ、そこへ向かおうとったのか、自分でも正確には分からなかった。 誠さんに拒絶され、由紀に軽蔑され、藤原に脅された。 美智子を取り戻すためのカードは、私の元にはもう枚も残っていなかった。 ただ、自分が信じ込んできた『被害者は誠さんであり、私はできる限りの責任を果たした』という物語の綻びが、耐えがたい恐怖となって私を突きかしていた。
田区郷。 京浜急の駅から歩いて分ほどのは、属を削る甲い音と、焦げた切削油の匂いに満ちていた。 かつて私が経営していたと同じ、懐かしくも息の詰まる町の空気。
目指す所は、トタン根のさな平建ての作業だった。 板には、かすれた文字で『林械サービス』とだけかれている。 け放たれたシャッターの奥で、青い作業着を着た男が、のついた型耕運のキャブレターを分解していた。
背格好は柄で、代半ば。 油に汚れた袋でスパナを握り、真剣な差しでエンジンを見つめている。 かつて私ので、おどおどと図面を覗き込んでいたあの歳の青の面が、目元の鋭さに残っていた。
「……林くん」
わずから漏れた呼びかけに、属のぶつかる音がピタリと止まった。 男がを止め、ゆっくりと顔をげた。 黒いグリスが頬に付着している。男は怪訝そうに眉をひそめ、作業用のタオルでを拭きながらちがった。
「……どなたですか? 修理の持ち込みなら、今週はいっぱいで——」
言葉の途で、男のきが完全に止まった。 私のスーツ姿、髪の混じった髪、そして顔の輪郭を、値踏みするように見つめる。 数秒の沈黙の、男の喉から掠れた息が漏れた。