"九時三十四分の地下鉄、消えた暴行犯" 第4話
それでも若い男は殴るのをやめなかった。 倒れ込んだ男の背に馬乗りにならんばかりの勢いで覆いかぶさり、から渾の力で拳を振りろし続ける。ドカッ、ドカッ、という鈍い音が響くたびに、被害者の体がのでピクンとねた。
俺の線は、恐怖で凍りつきながらも、瞬だけ別の所へと向いた。
あの司だ。
同じ会社の社章を胸につけた、あのグレーのスーツの柄な男。 彼はどうしているのか。部が、目ので、見ずらずの乗客を方に殴り殺そうとしているのだ。止めに入るのが司の、いや、そのにいる同じ組織のの最限の義務ではないのか。
だが、目にび込んできた司の姿は、俺の背筋をさらにたく凍りつかせた。
司は、まだ座席に座っていた。 ちがることすらしていなかった。 膝のに置かれた黒いブリーフケースを抱きしめたまま、その体はまるで氷漬けにされたかのように直していた。両肩は極限までがり、首は亀のようにすくんでいる。鏡の奥の目は、これ以ないほど見かれ、黒目が激しく震えていた。その線は部の暴力の現に向けられていたが、焦点は完全に失われていた。
「あ……あ……あ……わ……」
司のは半きになり、乾いた唇から、刻みに震える掠れた空気だけが漏れていた。
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顎がガクガクと音をてて痙攣している。ちがって止めに入るどころか、声をかけることすらできない。自分のすぐ数センチ隣で繰り広げられている獄のような景をにして、彼の精神は完全にキャパシティを超え、完全に「腰が抜けた状態」に陥っていたのだ。額からは滝のような脂汗が流れ落ち、ワイシャツの襟元を濡らしていた。その顔に張り付いていたのは、部に対するりでも、被害者に対する同でもなかった。ただ純粋な、底なしの「保の恐怖」だった。巻き込まれたくない、自分に矛先が向いたらどうしよう、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか――そんな無言の鳴が、彼の青ざめた表から々しく滲みていた。
そのにも、のの暴力は続いていた。 被害者の男性はすでに呻き声すらげなくなっていた。背を丸め、微かに指先を痙攣させているだけだ。若い男のは、被害者の血で赤く染まり始めていた。それでも男は目を血らせ、唾を撒き散らしながら、なおも拳を振りげていた。
このままでは、本当にがぬ。 誰もがそう直した、その刹だった。
「てめえ! いい加減にしやがれッ!」
号とともに、の男が群衆のから弾丸のようにびした。 作業着を着た、首の太い柄な男性だった。
代半ばくらいだろうか。使い込まれた作業着の袖をまくりげたその逞しい両腕が、背から若い男の首元へと伸びた。 作業着の男は、暴れる若い男の背に滑り込むと、男の脇のから両腕を通し、首のろでを組む――完璧なフルネルソン(羽交い締め)の体勢へと持ち込んだ。
「ぐおおおおっ!?」 を突かれた若い男が、喉を詰まらせたような声をげた。 作業着の男は全体をろに預け、若い男の体を被害者のから引に引き剥がした。
「せッ! せクソ野郎! 殺すぞ! てめえも殺してやるッ!」 若い男は狂乱し、作業着の男の腕ので魚のように激しくを捩じった。ろへ向かって突きを繰りし、靴のかかとで作業着の男の脛を何度も蹴りげる。ゴン、ゴン、と鈍い音が響く。 作業着の男は痛みに顔を歪め、歯をいしばりながら鳴った。
「誰か! 見てねえでぇ貸せッ! じゃ抑えきれねえッ!」
その叫びが、恐怖で麻痺していた周囲の男たちの理性を呼び覚ました。
「うおおっ!」 俺の隣にっていた、体格の良いサラリーマンがびした。続いて、俺自も体が勝にいていた。に持っていた文庫本を通のへ投げ捨て、男の腕へとびついた。さらに別の、初老にい男性までもが駆け寄ってきた。
「抑えろ! 腕を掴め!」 「を引っ張れ!」
俺は若い男の首を両で力任せに掴み、背側へと捻りげた。スーツの越しに伝わってくる男の筋肉は、異常な興奮によって鋼のように直していた。