"月二十五万を貪る偽装役員一家の転落" 第1話
たい拒絶
ことりと、陶器の鉢をランチョンマットの端に置いた。
計の針は、午をし回ったところを指している。
夕暮れの柔らかなが、リビングのレースのカーテン越しに淡いオレンジのを落としていた。台所からは、じっくりとをかけて煮込んだ豚の角煮の、甘辛くばしい匂いがふわりと漂っている。換気扇の回るい音に混じって、コトコトと微かに鍋が鳴る。
私――かよ子は、腰に巻いたエプロンで軽くを拭い、ダイニングテーブルのの並びを入りに見渡した。
「ミクの好物、これで全部揃ったかしら……」
テーブルには、娘が幼い頃から好きだった料理が所狭しと並んでいた。がしっかり染み込んだ根と豚の角煮、彩り鮮やかなポテトサラダ、朝番でに買いしにって仕込んだ鮮な刺の盛りわせ、そしてをつけてカラリと揚げるばかりにした鶏の唐揚げ。
昨、夫の文夫(ふみお)は仕事から帰るなり、カバンを置いて嬉しそうに呟いていたのだ。
『なあ、かよ子。ミクの好物って、角煮と唐揚げだったよな。せっかく結婚して初めてで顔を見せるんだ、美いものを腹いっぱいわせてやりたいじゃないか』
普段は無で、を表にすことがない夫が、目尻にい皺を寄せてのように笑っていた。
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定を数に控えた真面目筋のサラリーマンである夫にとって、娘のミクは何よりも尊い宝物だった。
そんな夫の姿をいし、私は自然と元を緩めた。
娘のミクが、悠(ゆうと)さんという男性と入籍したのは、ほんのヶのことだ。今は、婚活が落ち着いたが、結婚初めてがへと顔を見せてくれる記すべき里帰りのだった。
くからのる微かな音が響き、やがて消えていく。
ミクたちが乗る予定のなら、最寄り駅に着くのは半頃のはずだ。駅からがまでは歩いて分ほど。夫の文夫も、今は仕事をめに切りげて半には帰宅すると言っていた。
「んでくれるといいな……」
ポツリと独り言を呟きながら、私は湯みをつ、茶托のに並べた。
そのだった。
ガタリ、と玄関のドアノブが属音をてて回る音がした。
鍵のく音はしなかった。私が鍵を閉め忘れていただろうか。それとも、文夫がったよりく帰ってきたのだろうか。
「あなた? かったのね」
そう声をかけながら廊へようとした瞬、玄関の方から、よく聞き慣れた弾んだ若い女の声が響いてきた。
「ただいまー! お母さん、いる?」
わず目を見張った。ミクの声だった。
「まあ、ミク! お帰りなさい!」
私は慌ててエプロンで指先の気を拭いながら、で玄関へと向かった。
(たたき)の向こうには、淡いパステルカラーのワンピースを着たミクがっていた。その隣には、仕ての良いジャケットを羽織り、いかにも育ちが良さそうに角をげて微笑んでいる夫の悠さんが並んでいる。ミクの両には、都内の名デパートのロゴが入ったきな袋が抱えられていた。
「予定よりしかったのね。駅からの、迷わなかった?」
「ううん、悠さんがタクシー拾ってくれたからすぐだったよ。ほら、お母さん、これ産! あそこの名なケーキさんのなのよ。並ばないと買えないんだから」
ミクは得げに袋を差しした。
「お義母さん、ご無汰しております。急にお邪魔してすみません」
悠さんが丁寧にをげる。仕のつひとつが洗練されていて、いかにも非の打ち所がない好青に見えた。
「まあまあ、ご丁寧にありがとう。悠さんも、ようこそいらっしゃいました。さあ、ち話も何だから、くがってちょうだい。たいお茶でも――」
私が靴を揃えるためににりようとした、まさにその瞬だった。
背の玄関ドアが、から勢いよくいた。
「ただいま」
く、く沈んだ声だった。
仕事鞄を提げた夫の文夫が、いたドアの隙にっていた。いつも通りのなスーツ姿だったが、そのち姿にはどこか異様な威圧があった。
「あら、あなた。お帰りなさい。ちょうど今、ミクたちが着いたところで――」
私の言葉は、最まで紡がれることはなかった。喉の奥に骨が刺さったように、声がピタリと途切れた。
夫は、私を見ようともしなかった。
そして、久しぶりに会った娘に対しても、度として柔らかな線を向けなかった。
文夫の目は、血っていた。眉に刻まれた溝は見たこともないほどく、その線はただ点――玄関に並んでつ悠とミクの顔へと、射抜くように突き刺さっていた。まるで、裏で汚らわしい害虫でも見ろすかのような、底れぬ徹な差しだった。
その氷のような線に射すくめられ、悠さんの顔から、貼り付けたような営業用の笑顔がスーッと引いていった。喉仏が自然にする。
「お、お父さん……お邪魔、しています……」
悠さんが引きつった声で挨拶を絞りす。
狭い玄関ホールに、張り詰めた沈黙が落ちた。を通るの排気音だけが、くからかすかに聞こえてくる。臓の鼓が、の奥で嫌な音をてて鐘を打っていた。
数秒の、永にもえる奇妙な静寂。
やがて、文夫の乾いた唇がわずかにいた。
そこから発せられたのは、獄の底から響いてくるような、く、押し殺されたりの声だった。
「度と来るな。帰れ」
を疑った。
「え……?」
私は呼吸を止めた。
ミクもまた、ぽかんとをけたまま固まっている。
「あ、あなた……? 何を言って……」
「はあ? ちょっと、お父さん、何言ってんの?」
ミクが眉を吊りげ、抗議の声をげようとした。
だが文夫は、娘の声など切聞こえていないかのように、瞳の奥に狂気じみたたさを宿したまま、さらに歩踏み込んで言い放った。
「聞こえなかったのか。その汚い顔を、度と俺のに見せるな。さっさと帰れ!」
声が玄関の壁を震わせた。
次の瞬、文夫は娘たちの目ので、乱暴に鉄の扉を押しした。
ドーーーン!!
暴力な轟音が鳴り響き、たい属のドアが完全に閉じられた。鍵が内側から、ガチャリと音をてて回される。
あっというの来事だった。
娘と婿は、がの敷居を跨ぐことすら許されず、持ってきた産の袋ごと、無残にへと締めされたのだった。