"祖母は十二年年賀状を書いてない" 第18話
と私を睨みつける。
曜の午、私は祖母をレンタカーに乗せ、域包括支援センターと総病院の物忘れ来へ向かった。
待で順番を待つ、祖母はずっと私の腕にしがみついていた。 診察で、を着た医師が祖母に問診をう。
「子さん、今は何の何何かわかりますか?」
祖母は老鏡の奥の瞳を泳がせ、震える指を組んだ。
「……昭……いえ、平成の……」
「ここはどこですか?」
「……崎の、駅のかい……?」
医師の容赦のない質問が続くたびに、祖母の表からプライドが剥ぎ取られていく。 計の文字盤を描くテストでは、歪んだ円のに、数字が半分だけに固まってかれた。
「介護認定の区分変更申請をしましょう」
医師はカルテから顔をげ、私に向かって淡々と言った。
「現の介護1から、おそらく介護3にはがります。等度のアルツハイマー型認症ですね。の始末ができない、期記憶の著しい欠落、失禁の初期症状。……ご族がで宅介護を続けるのは、限界を超えていますよ。これまで同居されていたご族は、よくで抱え込んでいらっしゃいましたね」
『よくで抱え込んでいらっしゃいましたね』。 その言葉が、胸にく突き刺さった。 医師が賞賛したのは、子供である母たちではなく、現でをかぶり続けた淳子叔母さんのことだった。
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曜の午、支援センターのケアマネージャーが実を訪れ、しいケアプランの作成が始まった。 週に回だったデイサービスを週回に増やし、訪問護とヘルパーを組みわせる。 それでも埋まらない夜や週末の空をどう埋めるか。
曜の夜、横浜から男伯父さんが、京から両親が、再び崎の実に集まった。
茶ののテーブルには、私が週かけて役所や病院から集めた類、ケアプランの試算表、そして特養の待者リストが然と並べられていた。
「結論から言います」
私はののに、計算とメモ帳を置いた。
「特養の空きがるまで、最でも半からかかります。それまでの、宅で介護保険サービスを限まで使った、自己負担額とオムツ代や医療費で、におよそ万円から万円。民施設に入居させるなら、に万から万です」
伯父さんが唾をみ込んだ。
「……母さんのは、遺族とわせてに約万だ。宅なら、母さんののでギリギリ収まるな」
「収まるのは『費用』だけです」
私は伯父さんをまっすぐに見据えた。
「週デイサービスにっても、朝の送りしと夕方の迎え、夜の見守り、病院への通院は族がやらなきゃいけません。叔父さんは朝夕の事と緊急の対応を引き受けてくれると言ってくれました。
でも、週末の介助と通院の付き添いは、平にけない叔父さんでは能です」
私はカレンダーを広げた。
「曜と曜は、男伯父さんとお母さんが、隔週で幹線に乗って崎に来てください。交互に実に泊まり込んで、掃除、洗濯、週分の買いし、そしておばあちゃんの相をしてください。……できますか?」
「隔週で……!?」
母が鳴のような声をげた。
「そんなの、に回も週末が潰れるじゃない! 幹線代だって往復で万以かかるのよ!?」
「嫌なら、に万ずつして、民の施設に入れてください」
私の声には、切の容赦を含めなかった。
「おもさない、体もさない、でも母さんには元気でいてほしい。……そんな都のいい話、もう通用しないって、先週嫌というほど分かったはずでしょう?」
母は言葉を失い、男伯父さんは腕を組んだままく目を閉じた。
「……分かった」
い沈黙のあと、男伯父さんがいをいた。
「俺は、第と第のを担当する。幹線代も、母さんの座から分がたの補填も、俺と恵子で半分ずつす。……、それでいいか」
叔父さんは、静かに頷いた。
「ああ。……だが兄さん、これだけは約束してくれ。淳子には、切の連絡をするな。飯の差し入れも、愚痴の話も、切かけるな。あいつはもう、このの介護からは完全に切りす。
それが、俺があいつと夫婦を続けるための絶対条件だ」