"一万八千円の伝票" 第29話
その夜、私はぶりに、度も目を覚ますことなく、くらかな眠りに就いた。
翌朝、鳥たちの澄んだ囀りで目を覚ました。 カーテンをけると、柔らかなの朝が部いっぱいに差し込み、澄み切った青空が広がっていた。
くから、リズミカルな箒の音がサッサッとよく響いてくる。 窓からを乗りして見ろすと、玄関の散り葉を、若いスタッフとベテランの元スタッフが肩を並べ、談笑しながら丁寧に掃き清めている姿があった。
たく澄んだ朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、私は部をた。 廊を歩いていると、階からふわりと、何とも言えない芳しいりが漂ってきた。 鰹節と昆布を惜しみなく使い、じっくりとをかけて引かれた、本物の汁のり。かつて毎朝、この館全体を優しく包み込んでいた、あの懐かしい「がの匂い」だった。
私はな黒のを脱ぎ、淡い桜のカーディガンに袖を通した。 階段をゆっくりとりてロビーへ向かうと、そこには活気と笑顔が溢れていた。
林さんが、玄関のガラス扉を息を吹きかけながらピカピカに磨きげている。昨まで恐怖に震えていた彼女のは、もう微も震えていなかった。その傍らでは、松島板と共に戻ってきてくれた配の客係が、ロビーの瓶に、から仕入れてきたばかりの瑞々しい桜のけを美しくけていた。
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「おはようございます、女将さん!」
が私に気づき、弾けるようなるい声でをげた。
「おはようございます。……お、本当に綺麗ね」
私が微笑んで答えると、林さんはし照れくさそうに、だが誇らしげに胸を張った。
「はい! 今朝、仕入れの帰りに板とおさんに寄ってきたんです。『お客様が朝起きてこられた、番最初に目に入る所だからね』って、板が……」
その言葉を聞いた瞬、私の胸の奥がじんわりとくなった。 誰かに命令されたからではなく、スタッフひとりが自らので考え、お客様の笑顔のためにを尽くしてく――これこそが、私と夫が、何よりも切に守り育ててきた「おもてなしの」そのものだった。
レストランのとなり、私は入りにってお客様をお迎えした。 やがて、階から渡辺ご夫妻が、を取りってゆっくりとりてこられた。おの顔からは、昨の怯えやは完全に消えり、穏やかでれやかな表を浮かべておられた。
「おはようございます。昨夜は、よくお休みになれましたか?」
私が々とをげてお尋ねすると、おばあさんが嬉しそうに目元を細めた。
「ええ、本当にぐっすりと眠れましたよ。お布団がふかふかで温かくて……何ぶりかしら、朝まで度も起きませんでした」
「それは良かったです。……さあ、朝のご用ができております。どうぞ、こちらへ」
私がご案内したのは、柔らかな朝のが差し込む、庭園の葉が望できる特等席の窓際テーブルだった。 おが席に着かれると、松島板自らが、湯気のちる蓋付きのお椀を両に乗せて厨から現れた。
「おはようございます。当館自の、朝の噌汁でございます。どうぞ、いうちにお召しがりください」
板が恭しくお椀をテーブルに置いた。 おじいさんは両でお椀を包み込み、蓋をけると、ふわりとちる芳醇なりに目を細めた。そして、そっと、おつゆをに含んだ。
その瞬――おじいさんの目尻がふっとがり、瞳にいものが滲んだ。
「……ああ、これだ……。、砂りのので凍えていた私たちを、温めてくれた……あのだ……」
おじいさんの声が、震えていた。 おばあさんも含み、そっとハンカチを目元に当てた。
「本当に……体の隅々まで染み渡るような、優しいですね。……々あったけれど、最にこんなに美しい朝ご飯をいただけて、私たちは本当に幸せです」
その景を見つめながら、松島板も目を赤くし、々とをげていた。 私はレストランの隅から、その温かい朝の景を静かに見守っていた。
万千円という法な値段をつけても、決してに入らないもの。
それは、お客様がの底から零す「美しい」