"母の職場で死んでいた私" 第9話
だが、残された母にとっては、のすべてを否定された朝だったのだ。
「タイムカードを押した、さんに聞かれたわ。『津田さん、目が真っ赤よ、どうしたの? 美紀ちゃん、今が卒業式でしょう?』って……! 優しい顔をして、配そうに聞いてきたのよ!」
母の声が、次第に掠れてくなっていった。 まるで、のあの瞬に引きずり戻されたかのように、母の瞳が焦点を見失っていく。
「私、カッとなってたの。に血がって、恥ずかしくて、けなくて……あんたに捨てられたなんて、誰にも言えなかった。『娘に逃げられました』なんて、あのさがない田舎の会社で言ってみなさいよ。どんな目で見られるか、どんな噂をてられるか……! だから、からまかせがたのよ。『あの子のことはもう聞かないでください。あの子はもう、んだものとってください』って……!」
それは、子供の癇癪のような言葉だった。 親が子に絶縁を突きつけるに吐く、ありふれた、しかし最も品で絡な捨て台。
「言った瞬、自分でもまずいとったわ。でも、さんの顔が変わったの。『え……? んだ……? まさか、事故……?』って。さんの声が震えて、そのにいた同僚たちが斉に私を見たのよ」
母は両で自分のを抱え込んだ。
「違うって言おうとしたわよ! ただの喧嘩だって、しただけだって! でもね……さんが私のを握って、『津田さん、辛かったわね……何もらずに聞いてごめんなさい』って、涙をボロボロこぼしたのよ。
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いつも私の類のミスをネチネチ責めてたあのさんが、私のを両で包んで、温かいお茶を入れてくれたの……!」
私は息を呑んだ。 背筋に、ねっとりとしたたい汗が伝うのをじた。
悪から始まった嘘ではなかった。 ただの言の悪なの滑り。 だが、その滑り落ちた言葉の先にあったのは、非難や嘲笑ではなく――甘美で、温かい、無条件の『同』だったのだ。
「そのの昼、内部に呼ばれたわ」
母の唇が、乾いた笑みを漏らすように微かに歪んだ。
「内部はね、普段は滅に笑わない、厳格なだったの。その部が、私を応接に通して、々とをげたのよ。『気づいてやれずにすまなかった。娘さんをくされて、どれほどの絶望か……今はもう退していい。休の申請は私の方で処理しておくから』って」
「……それで、帰ったの?」
「帰ったわよ!」
母が叫んだ。
「帰れるわけないのに、帰ったわよ! だって、怖かったのよ! 『嘘です、娘はピンピンしてて、私に悪態ついて京へっただけです』なんて、をげてる部ので言える?! 『なんだ、ただの親子の喧嘩か。騒がせな』って、鳴られるに決まってるじゃない! 恥をかかされたって、社の笑い者になるに決まってるじゃない!」
母の告は、もはや濁流のようだった。 、誰にも言えずに腹の底に溜め込んできたが、気に噴きしていた。
「次のも、その次のも、会社のみんなが私に優しかった。いつもなら押し付けられる雑用を、若い子たちが『津田さん、私たちがやりますから座っててください』って代わってくれた。残業も『く帰ってお線をあげてあげなさい』って免除された。……私、まれて初めてだったのよ。あんなにに切にされたのは」
「だから……そのままにしたの?」
「週経ったら、もう本当のことなんて言えなくなってたのよ!」
母はを激しく踏み鳴らした。
「週よ! たったで、私は『劇の母親』として完成しちゃってたの! そので、あんたが事故でんだんじゃないなんて言ったら、私はただの嘘つきで、同を引くために娘をダシにした最の女になる! そんなの、耐えられるわけないでしょう?!」
私は、台所のタイルのたさをの裏にじながら、ち尽くしていた。
理解できてしまった。 それが、何よりも恐ろしかった。
もし母が、最初から保険を目当てにしていたり、会社からを騙し取ろうとして綿密に計画していたのなら、私は母をただの犯罪者として軽蔑し、切り捨てることができたはずだ。 だが、現実はそうではなかった。 常のほんの些細な見栄と、保と、そのしのぎの嘘。 そこに周囲の純粋な善と同が注ぎ込まれ、嘘は瞬くに固まり、戻りのできないコンクリートの壁となって母を取り囲んだのだ。