"母の職場で死んでいた私" 第1話
乾いた破片が絨毯のにび散ったのは、私が宴会の扉を押しけて、わずか数秒のことだった。
「……え?」
グラスを取り落としたのは、見覚えのある髪交じりの女性だった。 母の職の同僚で、私がまだ学だった頃、社内旅の産を届けに度だけ実へがったことがあるだ。 名は、たしかさん。
彼女のから滑り落ちたビールグラスが、ホテルの毛のい絨毯ので鈍い音をてて弾けた。 炭酸の泡を含んだ黄い液体が、元へじわりと染みしていく。
「あ……」
誰かのい声が漏れた。 それを皮切りに、それまで会を包んでいた華やかな笑い声とざわめきが、まるで潮が引くように止まった。 ステージ脇でマイクを握っていた司会役の男性の声も途半端に途切れ、スピーカーからキーンと微なハウリングが鳴った。
会内にいたほどの線が、斉に私へと突き刺さる。
私はに、のリボンをかけた袋を持っていた。 に入っているのは、京・本のデパートで以かけて選んだのカシミヤのストールだ。 母の好きな落ち着いた藤。 歳で定を迎える母への、私なりのサプライズのつもりだった。
幹線に半揺られ、方都の駅からタクシーをばして、このホテルの階にある『平の』に滑り込んだのは、宴会が始まってからちょうどが過ぎた頃だった。
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司会が母のこれまでの功績を読みげ、記品が渡される頃いを見計らっていた。
「お母さん、お疲れ様」
そう言ってろから肩を叩き、驚いて振り返る母の顔を見るはずだった。 し照れくさそうに眉をげて、「わざわざ京から来なくていいのに」と言を言いながらも、同僚たちに誇らしそうに私を紹介する――そんな、どこにでもある温かい面を像していた。
けれど、現実はまったく違っていた。
誰、笑っていなかった。 祝福の拍も、からかい交じりの歓声も起きない。 ただ、息を呑む音だけが、広すぎる宴会のあちこちから聞こえた。
最列にいた配の男性社員が、子の脚をガタリと鳴らして半歩ずさりした。 私のすぐ斜めにっていた若い女性社員は、私の顔と、ステージ央につ母の姿を交互に見比べ、青ざめたで自分の元を覆っている。
まるで、入ってはいけない所に入り込んだ侵入者を見る目ではなかった。 昼堂々、この世にしてはならない異形のものを目撃してしまったかのような、底れない恐怖のだった。
「……美紀ちゃん……?」
グラスを割ったさんが、震える指先を私に向けた。 その声はかすれ、喉の奥から絞りされたように細かった。
「はい、ご無汰しています。さん、ですよね。母の定のお祝いに、京から急いで駆けつけたんです。
驚かせちゃってすみません、驚かすつもりで……」
私は無理に角をげ、元の袋を持ちげて見せた。 の凍りついた空気をらげようと、努めてるい声をした。
だが、さんの顔はいっそうくなった。 彼女の喉仏が、ごくりときくく。
「うそでしょう……? あなた、美紀ちゃん……? 本当に……?」
「え? はい。美紀です。津田美紀です」
私は自分の名を名乗りながら、首をかしげた。 をてから。たしかに髪型も変わり、化粧も覚えた。けれど、昔の面がまったくなくなるほど変わったわけではないはずだ。
その、さんのから漏れた言葉が、私の朶を打った。
「あなた……に、くなったんじゃなかったの……?」
「……は?」
声が裏返った。 聞き違いだとった。 あるいは、何か別の社員の族と勘違いしているのだろうと。
「何言ってるんですか、さん。私、きてますよ。ちゃんと京で仕事もしてて、に何回かは……」
言いかけた私の言葉は、ステージのから響いた鋭い音によって遮られた。
ガタタン、とパイプ子が倒れるような激しい音。
壇の真んにっていた私の母――津田敏子が、束を抱えたまま、直していた。
いつもな母が、今のために調したらしい濃紺のセレモニースーツを着ていた。 胸元には、赤との引で作られた『祝・定退職』のコサージュが留められている。